文壇バーの店主滝澤紀久子さんの言葉が強く印象に残りました。

西村さんの作品は
「お母さまに対する手紙だとおもう」


滝澤さんと西村さんの母親と同じ年齢だとわかると
「なんだ〜おふくろと同じ歳かよ〜」
と懐かしそうな……

ほんとは大好きだったのでは…と。


テレビなどでは母親に会う気はないとサラッと言い放っていたけど…そうだったのかな。

どうかな?あの世から
「なに勝手な事言ってんだ!ババア!」と言ってるかもてへぺろ




青にこだわりがあって、
右側の青じゃないとダメらしい。
左(『棺に跨がる』)の青の方が深みがあっていいように思うけど……



編集者の方が
西村さんの遺品整理で寝室に入った時、綿の出たペラペラの煎餅布団に虚をつかれた。
買えないはずはなく…“北町貫多”の青春を忘れないためか?寝室だけは昔のままにしていたのか…と。
真意はわからないまま…。


西村さん
小説を書く時は布団に寝っ転がって枕で腕を支えて…のスタイル
枕変えたら眠れない じゃないけど、
布団変えたら書けない の感覚だったのではないのかな??


死後わかった事
中学生の頃から小説家を目指していたと同級生の投書で知る。
これには編集者の方々ビックリ。


多感な時期の暗い表情
辛かったんだろうなぁ……
(「何わかったような事言ってんだ!ババア!」と罵られそう)




最後に食べようとしていたのはフライドチキンだったのね……。




私淑した作家藤澤清造氏の隣で眠る

遠方から訪れるファンがたくさんいて幸せですね。
作品はずっと残ることだし…。


供物…甲類焼酎・ラッキーストライク・カルピスウォーターなどいっぱいでした




西村賢太さんをこよなく愛す
振り回された
「被害者の会」の皆さん