映像の世紀バタフライエフェクト
難民 命を救う闘い

現在 難民、避難民
1億人越 (世界で80人に1人)

ウクライナ避難民 900万以上

アルメニア難民、ベルギー難民、ロシア難民、ユダヤ難民、インドシナ難民、クルド難民……難民、難民、難民…




最初の難民高等弁務官
フリチョフ・ナンセン
(探検家・海洋学者)



ソ連難民(飢餓難民)の現状を映像で記録
世界の人々に寄付を呼びかけた
(国連は社会主義、国連加盟国でない事を理由に資金援助しなかった)


30ケ国以上で入国可能となる難民のための身分証明書ナンセンパスポート発行。(難民を国際的に保護する最初の法的手段)



ノーベル平和賞キラキラ 
賞金は難民支援のため寄付拍手



その頃
ナチスが台頭
映像の世紀 不名誉な常連


難民高等弁務官
ジェームズ・マクドナルド(アメリカ人、大学教授・ジャーナリスト)




国連の姿勢はナンセンの時代と変わらす。ユダヤ難民のために資金出さない。


ジェームズ・マクドナルド
世界の注目をユダヤ難民に向けるため、ユダヤ人の迫害の実態を世界に訴える40ページに及ぶ辞職願を出す。


“ドイツにユダヤ人の未来はない。私の推測ではユダヤ人は大量に虐殺されるだろう”←的中してしまった

それでも国際社会動かず
★当時、力のあったドイツに国際社会は介入したくなかった


国際社会が動かないので
一般市民が動き出した


ユダヤ難民のひとり
フランス パリに逃れてきた
ロバート・キャパ
後にゲルダ・タローと出会う




スペイン内戦(1936)
「崩れ落ちる兵士」で有名になる

難民にもカメラを向け写真で窮状を世界に伝えようとした。


「いつだってただ傍観し、人の苦しみを記録することしかできないことは辛いことだった」~キャパのメモより~





第二次世界大戦
ドイツ軍ヨーロッパ各地に侵攻
ユダヤ人を強制収容所に連行

親を連れ去られ孤児となった子供があふれた



フランスにあるシャトーと呼ばれる孤児の避難施設。いずれ収容所送りとなる。


ここでも
国際社会は救いの手を差し伸べず。


市民の中から立ち上がる者が現れた


後に世界的パントマイムアーティストになるマルセル・マルソーが仲間と子供たちをスイス国境まで連れて逃がす。


映画化されているようですね


ポーランド
秘密組織
「ジェゴタ」ユダヤ人救済委員会
ゲットーの子供たちを病気と称して2500人救う



ドイツ敗戦国となり
占領地を追われる
ドイツ難民

第二次世界大戦で生まれた難民
6000万人以上

 



ベトナム戦争

アメリカが支援する南ベトナム
🆚
社会主義国家北ベトナム

沢田教一
「安全への逃避」

(味方のはずのアメリカ兵の攻撃から逃れている南ベトナムの母子)
★後に再会するも、沢田は四年後銃撃され死亡。少年のひとりは今は孫たちと元気に暮らしていました。

戦場の沢田氏



アメリカ国民のベトナム戦争支持率
60%→30%切る

ベトナム戦争終結

★ベトナム戦争は報道が終わらせた戦争と言われていたらしい



北ベトナム軍の報復を恐れ市民が国外脱出

避難民を救出するアメリカのチャーター便に押し寄せる人、人、人……


飛行機に乗ろうとするベトナム人を
ピストルで脅し追い払うアメリカ人のおっさん
イヤな役目を任されたのかも知れないけど…酷いなぁ



混乱は周辺国
カンボジア
ラオスなどにも飛火
インドシナ難民300万人





ボートピープル(船で亡命するひと)

日本人にも漂着

この事が難民問題に取り組んでこなかった日本にとって大きな転機となる。
★余談:ボートピープルの少女が「スター誕生」で優勝しデビューしている。オーディションではかなり垢抜けた感じだったが、デビュー時には“元難民”を演出するためか地味に変身させられいたな。ルー・フィン・チャウさん。




1979年
日本政府初めてインドシナ難民のキャンプに視察団派遣。(視察団長緒方貞子

どこから救済の手を差し伸べたらよいのか呆然。ただキャンディーを配るしかできなかった。(不二家のポップキャンディーに見えたな)


緒方貞子
1990年
国連難民高等弁務官事務所
UNHCR
8代目トップに選出


国家主権の壁

難民条約(1951年)
難民とは他国に逃れ国際的保護を必要とする人

国内避難民は難民と見なされず、保護の対象ではない
↑この考えはUNHCRでも根強かった


フセイン政権に抵抗したクルド難民


反対の声を押し切りこれまでのルールを変えた。 
原則にとらわれて人権侵害を見逃してはならない。

これまでの国内難民も難民と見なし救援に踏み切った。



停戦合意のない戦闘地域の援助活動もした。(ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争)



難民の命を救い、生活支援、学校、病院を作った。


世界各地の難民キャンプに
多くの命が産まれた。
サダコオガタちゃんと緒方貞子さん


2000年
任期全う
“…人々の苦しみに接するたび沸き上がった悲しみと怒りがこの仕事の原動力でした。
家を追われ貧困に苦しむ難民を支援するため
最前線で闘った全ての人々に尊厳を 
そして誰よりも全ての難民に尊厳を”



緒方貞子さん
実際に現地に入り難民の声に耳を傾け、最善を尽くす
素晴らしい功績を残された方だったのですね。




現在の国連難民高等弁務官
フィリップ・グランディ
緒方さんに倣って
戦地ウクライナ ブチャに入っている。