眠っていた記事に
NHK「歴史探偵」をプラスしました。
今年は
千利休 生誕500年
三浦綾子 生誕100年
らしいです。
知らなかった。
「利休とその妻たち」
もちろんフィクションですが、残された手紙など引用されているので、少しだけでも利休に対する秀吉の心の内を知ることができたように思います。
利休亡きあと
大政所(秀吉の母)に書いた手紙
〈かえすがえす、一段と息災、昨日利休の茶にて御膳もあがり、おもしろくめでたく候まま、お心安く候べく候〉
利休の茶とは、利休流の茶。
秀吉の心の中から、利休を除くことのできなかった一つの証拠。
その秀吉の心を、三成たちは遂に知ることはなかった。
秀吉が天下を取ってから、利休との位置が入れ替わり、「宗易殿」から「宗易」「利休」と呼び捨てに。
利休切腹の理由
◆秀吉の嫌いな黒茶碗を使った
◆金毛閣に利休の木像を飾った
◆出鱈目な茶器の鑑定
など、全くの言い掛かり。
表向きの罪状は木像の一件。
木像を磔にして一件落着させるつもりだった秀吉に、
石田三成が、
お気にかけるほどのこともごさりませぬが…と、前置し
「利休がいなければ、お茶のひとつも召し上がれぬと。陰口を申す者がござります」
と言った。
図星をさされ秀吉激怒💢😠💢
で
「切腹!!」
何が悪かったのでもない。
石田三成派(木下祐桂、前田玄以ら)の策謀に秀吉が乗せられた。
秀吉はまさか利休が切腹するとは思っていなかった。
命乞いすれば助けるつもりだった。
(文献が遺っていたのかわからないですが、壮絶な切腹でした。武士でなくても切腹の作法って知ってるものなんですね。もっと後の時代になると、扇子を小刀に見立てたり、小刀を腹に当てた瞬間に介錯し、極力苦しみを少なく…と読んだことがありましたけど。)
“人間という者は、権勢の座につくと、えてしてその人柄が小さくなるような気がした。一見、豪放そうで、決して豪放でない。いつも人の腹の底を探っている。”
(信長・秀吉 嫉妬心、猜疑心が強い)
地位、財力を得たものの、猜疑心の塊になり誰をも信じられなくなる。
↑独裁者はみなそうですな
秀吉の祐筆 木下祐桂
“頭の低い男で、誰にでも必要以上に辞を低くする。が、その相手の後ろ姿を、蛇にも似たまなざしで見送るような性格。”
↑こういう人が一番こわいっ!
利休のことば
随分長いこと参禅してきた。しかし、いくら禅を重ねてきたところで、憎しみというのは、抑えられぬものよのう。
禅の修行をした者でさえ…
人間の業は深いですねぇ。
利休はカトリックのミサを見て
これ使えるんじゃね?
と、茶道に取り入れた。
それがですね…
「歴史探偵」という番組で
イエズス会の神父は茶の湯で武将らに近づいたようで、早くに茶道を学んでいたようです。
武将は褒美に土地をもらって喜んでいたのが、信長の時代から茶器にかわっていったようであり、
土地を与えられたのに、「あぁ〜あの茶器が欲しかったのにぃ〜」という感じに…。
秀吉の時代、茶道具を与えることで家臣をコントールしていたのですが、
関白に就任したことで、官位を武将に与える権限を得たため、
こんな感じの座席
↓
官位
↑
茶道具にないメリット
☆武将の順位付けを視覚化☆
茶の湯のもつ政治的な力の衰えもあり
利休の存在が邪魔になった…
というような理由でした。
(あくまでも推測でしたが…)
こんな実験も
この三種の茶碗に80℃の湯を注ぐ
天目茶碗と珠光青磁はすぐに50℃以上になりアチチチと…
しかし、樂茶碗の熱の伝わり方はゆるやかで40℃を保っていました。
持ってちょうど良い感じ。
利休は持っている茶碗さえ忘れるような、上下の関係のない(躙口がせますぎて刀を差せない)
2畳の仄暗い一体となるような空間を
茶室「待庵」に再現したのだろう。
というお話でした。多分…
(途中寝てしまってたよ。)