ン十年ぶりに読み返した
志賀直哉の小説。

中学か高校の授業で『城の崎にて』を習ったはず。

志賀直哉が事故に遭い、城崎温泉で療養している時の話し。

イモリを脅かしてやろうと石を投げて、うっかり殺してしまう…という。


私が長い間、頭の中で描いていた風景は(何故か宿の庭で)食事をとっていて、その途中に、ふと池を見てイモリを見つけた…。

と思っていたのです。
しかも、何を食べたかもインプットされており…。スプーンフォーク

『城の崎にて』には食事シーンなどなく、いったい何の小説と混同してしまっていたのか…。



療養先の宿で見た
蜂の死骸、魚串が刺さった鼠が必死に川から這い上がろうとしている姿、投げた石が偶然当たって運悪く死なせてしまったイモリを思い、自分は山手線の電車にはね飛ばされる大きな事故に遭いながら死ななかった事に感謝しなければ済まない気がする。そして生と死は両極ではないと思い至る。





奈良に志賀直哉旧居があるのですが、改修されるずっと前に行った事があり、そこのトイレは水洗タンクが中途半端な頭上にあって、ゴンピリピリと思いっきり頭をぶつけた痛い思い出が…。


小説の中に事故にあったころ、頭がはっきりしない、物忘れか烈しくなった…と書いてありましたが、私の頭がはっきりしないのは、あのトイレのタンクにぶつけた後遺症なのではなかろうか?
単に加齢によるものか、いや、生まれつきのボンヤリなのだろう。
もしかしたら志賀直哉に石をぶつけられたイモリの生まれ変わりなのかも知れない…
など考えるアンポンタン。


志賀さんその節はどうも
痛かったですよ~


アハハハ…
100年以上前の事
まだ根に持っとるのかね?






おわり