レフ・ニコラーエヴィチ・オボーリンロシア語: Лев Николаевич Оборин、ラテン文字転写の例:Lev Nikolayevich Oborin, 1907年11月11日 モスクワ - 1974年1月5日)はソビエト連邦ピアニストである。教育者としても著名な存在であり、ウラディーミル・アシュケナージなど多くの優秀な弟子を世に送り出した。

経歴

ロシア(当時は帝政時代)のモスクワ生まれ。モスクワのグネーシン音楽学校に学び、ミハイル・グネーシンの姉でフェルッチョ・ブゾーニの高弟エレーナ・グネーシナピアノを、アレクサンドル・グレチャニノフ作曲を師事し、かなりの優等生となる。

1921年に許されてモスクワ音楽院に入学。ピアノ科と作曲科第1回ショパン国際ピアノコンクールに出場して優勝した。イグームノフの推挙でワルシャワに行き、に籍を置き、コンスタンチン・イグームノフの薫陶を受ける。1926年にピアノ科を修了。1927年のショパン・コンクールの第1位を獲得。その後ポーランドドイツで演奏旅行を行う。

 

1945年までロシア国内で積極的な演奏活動を行うのと併行して、1948年より母校モスクワ音楽院で教鞭を執った。主要な門人にウラディーミル・アシュケナージエカチェリーナ・ノヴィツカヤ、ディミトリー・サハロフ、アレクサンドル・バフチエフ、ミハイル・ヴォスクレセンスキー、アンドレイ・エゴロフ、ペーター・レーゼル野島稔などがいる。

盟友ダヴィッド・オイストラフとは1935年に初めて演奏会で共演し、その後も終生さまざまなかたちで協力関係を保った。なかでもオイストラフと組んでフィリップスに録音したベートーヴェンヴァイオリンソナタの演奏は歴史的名盤に数えられている。

 

1941年にオイストラフのヴァイオリンスヴャトスラフ・クヌシェヴィツキーチェロとによってオイストラフ三重奏団を結成し、国際的な名声を得たものの、クヌシェヴィツキーが1963年に他界したため解散を余儀なくされた。

ミャスコフスキープロコフィエフハチャトゥリアンシェバリーンショスタコーヴィチなど、同時代の作曲家の作品のいくつかを初演している。

第4回および第5回ショパン国際ピアノコンクールリーズ国際ピアノコンクールで審査員を務めたほか、モスクワリスボンパリツヴィッカウのコンクールでも審査員に名を連ねた。