三日目

今回の旅行のハイライトである高速船による「せとうち島たびクルーズ」の出発だ。

ホテルの裏側に船着き場があり、すでに船が待機待機していた。

 

 

 

最初に「呉」の軍港に立ち寄った。

「音戸大橋」をくぐって大崎下島(案内人同行で御手洗の町並みを散策)へ

 

瀬戸内しまなみ海道には8つの橋が架かている。

 

歴 史

手洗の井戸は元々は神功皇后の御手洗井戸という伝承だった。菅原道真の伝承が主流となった。

寛文12年(1672年)、西廻海運、つまり日本海から瀬戸内海をまわり大阪に至る海運ルートが確立した

 

これにより御手洗は沖乗り航路の潮待ち港として北前船など廻船が寄港するようになる

さらに藩はここと宮島・尾道の三港のみ他国米の取引を認可したため、広島での米取引の重要拠点となっていく

町は18世紀ごろから急速に発展し、狭い土地であったため数度に渡り埋め立てが行われ港は拡大していき、文政2年(1819年)には“中国第一の港”と自負するほどにまでになっている

 

当時の寄港船はその他にも、幕府の船や参勤交代の船、オランダ・中国などの外国人や琉球国王の船など、多種多様であった

 

路地から路地へと巧妙に作られた家並み

島で唯一の劇場

ボランティアの巧妙な説明に聞き入る

こんなちいさな島にこんなに立派なお屋敷があるとは!!当時の隆盛振りが偲ばれる。

お寺も立派な建築だ。

こんな大きな石をどうやって積んだのか?

 

大久野島(うさぎの島として知られる)

人懐っこいうさぎが寄ってきた。

「瀬戸田港」

「広島港」から「瀬戸田港」までは高速船でいき、先回りしていたバス合流した。

 

大三島・大山祇神社(伊予の国の一之宮。三島神社の総本社)

樹齢2000年とのこと

 

 

向島と因島とを結ぶ吊り橋 全長: 1,270m 

村上水軍は瀬戸内海の因島・能島・来島の3島を拠点に活躍した海上の武装集団で、輸送船から通行料を取って水先案内や警護にあたり、海の安全や交易、流通を担う役割を果たしていました。
 
最後の橋「尾道大橋」を渡り一路「岡山」へ向かった。18時53分の新幹線で一路東京へ。
充実した旅だった。