1942年アルゼンチン、ブエノスアイレス生まれ、」両親はユダヤ系
ロシア人の家系だった。
5歳で母親に付いてピアノのレッスンを開始し、続いて父親に付いて
勉強を続けたが、これがバレンボイムの生涯を通じて
唯一教師と呼べる存在であった。
1950年8月には、7歳にして初の公式演奏会を
ブエノスアイレスで催した。
バレンボイム一家は1952年にイスラエルへ移住するが、それから
2年後の1954年夏にはザルツブルクを訪れイゴール
・マルケヴィッチの指揮クラスを受講している。
同じ頃にフルトヴェングラーとの出会い、その結果「11歳の
バレンボイムの登場は事件である…」との言葉を授かっている。
1955年からはパリにてナディア・ブーランジェの下で
和声と作曲を学んだ。
ピアニストとして、1952年ウィーンとローマ、1955年パリ、
1956年ロンドン、1957年ニューヨークにデビューし、
その評価を確立した。
その後まもなく、指揮活動も本格化させている。1965年から
10年以上におよんだイギリス室内管弦楽団との密接な関係の間に
、欧米の主要オーケストラからの客演指揮の依頼も
殺到するようになった。
1975年から1989年までパリ管弦楽団音楽監督に就任。
バイロイト音楽祭へのデビューは1981年で、以来定期的に同地を
訪れて《ニーベルングの指環》をはじめとするワーグナーの
諸作品を指揮している。
1991年シカゴ交響楽団の音楽監督に就任。この組み合わせは、
世界中の有名コンサート・ホールを席巻し続けている。
1992年にはベルリン国立歌劇場の音楽総監督にも就任した。
また、ベルリン・フィルハーモニーやウィーン・フィルハーモニー
とも長年に渡って特別な関係を築き上げている。
2000年10月には、「ドイツの文化的統一への貢献」と「ドイツ文化の
有能なる大使として、また世界の異なる民族間をむすぶ平和の
使者として」の功績を称えて、国立歌劇場のレジデント・
オーケストラとしてのベルリン・シュターツカペレから
終身首席指揮者に任命された。
近年は、ミラノ・スカラ座の客演首席指揮者にも就任し、
ピアニストとしての活動にも再び力を入れており、さらには
E.サイードとともに創設したアラブとユダヤの平和を願う
プロジェクトであるウエスト=イースタン・ディヴァン
・オーケストラとの活動も行うなど、精力的に活動している。
Beethoven Sonata N° 14 'moonlight' Daniel Barenboim
Tchaikovsky:Waltz of the Flowers-Daniel Barenboim
Daniel Barenboim – Chopin: Étude Op. 25 No.1 in A flat Major
Mozart Piano Sonata No 16 C major K 545 Barenboim
Smetana: Má Vlast, No. 2. Vltava (River Moldau) - Daniel Barenboim, Wiener Philharmoniker