UNIVERSAL JP)貝多芬:悲愴、月光、熱情&華德斯坦/ 布寧Stanislav Bunin - PChome 商店街

 

1966年、ソ連時代のモスクワ生まれ。父は当時の名ピアニスト

スタニスラフ・ネイガウス、祖父はモスクワ音楽院の名教授で

ギレリス、リヒテルの師でもあるゲンリフ・ネイガウスである。

母もまたピアニストでモスクワ音楽院出身で同教師でもある。

4歳から母にピアノの手ほどきを受け、その後も英才教育を受ける。

 

そして、17歳でロン=ティボー国際コンクール(開催地:パリ)

で最年少優勝を果たす

 

翌1984年よりショパン研究家のセルゲイ・ドレンスキーに師事した。

 

19歳でショパン国際ピアノコンクールで優勝したときには、

「協奏曲賞」及び「ポロネーズ賞」までも同時に受賞した。

 

この時における、フレデリック・ショパン作曲・『華麗なる円舞曲』

(ショパン作品番号第34)の第3曲・「猫のワルツ」の高速演奏は

取り分け有名で、普通は曲目の間では拍手はしないコンクールで

あるにもかかわらず、演奏が終わるや感激のあまり聴衆が

拍手をはじめてしまうほどであった。

1988年6月に西ドイツ(当時)に亡命した。ヨーロッパ各地での

活動に駆け回る。

 

89年に東芝EMIと契約し、その最初のリリースCD「バッハリサイタル」が90年の日本ゴールドディスク大賞を受賞した。

 

最も得意分野のショパンのほか、ベートーヴェンのピアノソナタ、

シューマン、J. S. バッハ、モーツァルトとレパートリーを広げていた。

1990年代以降はメジャーレーベルから離れてしまい、ヨーロッパ

からの新録音の話はほとんどないが、来日時からの人気に助けられて

日本でCDリリースを行い、演奏活動を続けている録音には

ブリュトナーを使ったようだが、2017年現在の彼は自宅に

ファツィオリを持ち込んで練習している。

日本とのかかわり


日本では最も有名な外国人ピアニストの一人である。

ピアノコンクールとして非常に高い権威を誇るショパン国際

ピアノコンクール(開催地:ワルシャワ)の第11回大会

(1985年10月1日~21日)にてわずか19歳の若さで圧倒的な

優勝を勝ち取った。

 

この様子をNHK(日本放送協会)が特集番組にて放送したことが

発端となり、日本においても「ブーニン・フィーバー」などと

呼ばれる現象が巻き起こり、クラシック音楽ファンの裾野を

広げるきっかけとなった。


ブーニンの演奏解釈は、専門家の間においてはどちらかというと

異端的と評され、ピアノ界においては主流のものとはみなされ

なかったが、非常にメリハリの利いたキレの有る彼の演奏は、

これまでクラシック音楽に疎遠であった人々の間においても

大いに歓迎された。

 

「ブーニン・フィーバー」を期にブーニン自身は日本を非常に

好意的に思うようになり、頻繁に来日演奏会を催している。

妻は日本人であり、家も日本にある。

 

(Bunin)Chopin Polonaise Op.53

 

Stanislav Bunin Playing Mozart's Alla Turca

 

♪ Stanislav Bunin, piano : BEETHOVEN "Appassionata"

 

BUNIN plays SCHUMANN Kreisleriana Op.16 COMPLETE (1984)