ピアニスト、指揮者の両輪で活躍し長きにわたりベートーヴェンと
向き合ってきたマエストロ。
「作曲家には生涯を通じて手がける、日記とも呼ぶべき
ジャンルがあります。モーツァルトならピアノ協奏曲、シューベルトなら歌曲…。ベートーヴェンはピアノ・ソナタと弦楽四重奏曲でしょう。
私もピアノ・ソナタから多くを学び、それを交響曲の解釈に生かし、
再びソナタへと還流する営みを繰り返し、神髄を極めてきました」と、音楽づくりの一端を明らかにした。
1942年アルゼンチンのブエノスアイレスでロシア系ユダヤ人の
両親のもとに生まれる。
両親からピアノの手ほどきを受け、5歳でピアノをはじめる。
1950年8月には、7歳にしてピアニストとしてデビュー。
神童ぶりを発揮した。
10歳でイスラエルに移住。フルトヴェングラーの影響を受け、
マルケヴィチに指揮を習い、1962年には指揮者としてもデビュー。
同年フルトヴェングラーと出会い、その結果「11歳のバレンボイムの
登場は事件である」と絶賛される。年代からパリ管弦楽団、
シカゴ交響楽団、ベルリン国立歌劇場で音楽監督などを歴任。
バッハやベートーヴェン、ブラームスから現代音楽まで、ピアニストの勘と指揮者の技術を両輪とする精緻な音楽表現で評価を得た。
ワーグナー解釈の第一人者でもあり、2001年にイスラエルで、
反ユダヤ主義だとしてタブー視されていたワーグナーの曲を演奏した。
パレスチナ系米国人学者の故エドワード・サイードと共に1999年に
創設した、「ウェスト・イースタン・ディヴァン・オーケストラ」の
指導を通じ、中東和平への道も模索し続けている。
その後まもなく、指揮活動も本格化させる。1965年から10年以上に
およんだイギリス室内管弦楽団の密接な関係の間に、欧米の
主要オーケストラから客演指揮の依頼も殺到するようになった。
1955年からはパリでナディア・ブーランジェに師事し、
和声と作曲を学ぶ。
ピアニストとして、1952年にウィーンとローマ、1955年にパリ、
1956年にロンドン、1957年にニューヨークにデビューし、
10代でその評価を確立した。
1975年から1989年までパリ管弦楽団音楽監督に就任。
1981年にはバイロイト音楽祭デビュー。以来1999年までの18年間、
毎年同地を訪れて《トリスタンとイゾルデ》《ニーベルングの指環》
をはじめとするワーグナーの諸作品を指揮した。
1991年から2006年までシカゴ交響楽団の音楽監督に就任。
1992年よりベルリン国立歌劇場の音楽総監督に就任。
2000年には同歌劇場のレジデント・オーケストラであるシュターツカペレ・ベルリンから終身首席指揮者に任命された。
2011年から2014年までは、ミラノ・スカラ座の音楽監督を務めた。
ベルリン・フィルやウィーン・フィルとも長年に渡って
特別な関係を築き上げている。
また近年はピアニストとしての活動にも再び力を入れており、
さらにはエドワード・サイードとともに創設したアラブとユダヤの
平和を願うプロジェクトであるウエスト=イースタン・ディヴァン
・オーケストラとの活動も行うなど、精力的に活動している。
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