ウラディーミル・ダヴィドヴィチ・アシュケナージ
ラテン文字転写例: Vladimir Davidovich Ashkenazy、1937年7月6日 - は、ソヴィエト連邦出身のピアニスト、指揮者。
であるが、母は非ユダヤ系のロシア人である。
妻の故国であるアイスランドの国籍を取得し、スイスに在住している。マウリツィオ・ポリーニ、マルタ・アルゲリッチ等と並んで、
マルタ・アルゲリッチ等と並んで、
20世紀後半を代表するピアニストの一人
来歴
1937年にソヴィエト連邦のゴーリキー(現在のニジニ・ノヴゴロド)の音楽家の家庭に生まれた。
父親はソ連軽音楽界で活躍したダヴィッド・アシュケナージ。
6歳でピアノを始め、2年後にはモスクワでデビュー演奏会を開いた。
9歳の時にモスクワ音楽院附属中央音楽学校に入学し、
アナイダ・スンバティアンに師事した。
コンクールに出場し、2位に輝いた(優勝はアダム・ハラシェヴィチ)。
この時にアシュケナージが優勝を逃したことに納得できなかった
アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリが審査員を降板する
騒動を起こしたことはよく知られている。
・ゼムリャンスキーに師事した。
翌1956年にはエリザベート王妃国際音楽コンクールに出場して
優勝を果たし、これを機にヨーロッパ各国や北米を演奏旅行して
センセーショナルな成功を収めた。
国際的な名声を確立した。
1962年にはチャイコフスキー国際コンクールに出場し
ジョン・オグドンと優勝を分け合った。
1963年にソヴィエト連邦を出国しロンドンへ移住、以後ソ連の
あらゆる公式記録からその名を抹消された。
1968年には妻の故国アイスランドのレイキャヴィークに居を移し、1972年にはアイスランド国籍を取得した。
ラフマニノフ作品に献身的ともいえる姿勢で取り組んでいることも
特筆すべきであり、協奏曲全曲とピアノ独奏曲のほとんどを
レパートリーとしている。
特にピアノ協奏曲第3番はピアニストとして4度録音している
(2種類のカデンツァを弾き分けていることも注目される)他、
指揮者としても振ったこともある。
ピアニストとして
身長168センチと小柄な体格だが、演奏至難なパッセージも楽々と
奏出してしまう卓越したテクニックの持ち主である。
その洗練された音色と端正で中庸を得た解釈は彼の音楽を万人に
親しみやすいものにしている。
レパートリーは極めて広汎にわたり、クラシック音楽のスタンダード
なピアノ曲の大部分を網羅しているといって過言でない。
録音も膨大な量に上り、そのいずれもが高い水準を誇っている。
こうしたことからアシュケナージは20世紀後半の最も重要で傑出した
ピアニストの一人として注目されている。
ショパン・コンクールをきっかけに国際的な名声を確立した経緯も
あってショパン作品には精力的に取り組んでおり、その評価も高い。
音楽評論家の柴田龍一は彼の膨大なキャリアの中から特に重要な
録音の一つとしてショパンの練習曲全集を挙げ、「このピアニストの
テクニックの素晴らしさを最高度に浮き彫りにした演奏といえるが、
ここに示された彼のテクニックは、凄みや冴えで聴き手を
圧倒するものではない。
彼は、この難曲を少しのごまかしもなく余裕をもって奏出し、
そのスムーズな語り口や美しい仕上りによって、聴き手に
エチュード集の各曲に秘められた音楽的魅力を
満喫させてくれている」と評している。
Ashkenazy plays Beethoven Concerto 5: Emperor (complete)
Chopin Ballade Op.52 Vladimir Ashkenazy
Vladimir Ashkenazy: Mozart Piano Concerto 27, K.595
Vladimir Ashkenazy - Liszt Feux Follets (live Carnegie Hall, 1969)