David Oistrakh (ダヴィッド・オイストラフ)。ロシアの男性
ヴァイオリニスト。1908年9月30日生まれ。1974年10月24日没。
20世紀を代表するヴァイオリニスト界の巨匠。
ウクライナ(当時はロシア帝国の一部)のオデッサで、
ユダヤ人の家庭に生まれた。
5歳のとき、ピョートル・ストリャルスキーの弟子として
ヴァイオリンとヴィオラの勉強を始めた。
イオシフ・ブロツキーやナタン・ミルスタインなどの
ヴァイオリニストたちらと共演。
1914年、6歳にしてデビューコンサートを行った。
1923年にオデッサ音楽院に入学し、1926年に卒業するまで学んだ。
音楽院では、作曲家のミコラ・ヴィリンスキーに和声を学んだ。
1926年の卒業コンサートでは、バッハの「シャコンヌ」、
タルティーニの「悪魔のトリルソナタ」、ルービンシュタインの
「ヴィオラソナタ」、プロコフィエフの「ヴァイオリン協奏曲
第1番ニ長調」が演奏された。
1927年、ウクライナのキエフでグラズノフのヴァイオリン
協奏曲を作曲者自身の指揮でソリストとして演奏した。
このコンサートをきっかけに、翌年、レニングラードでニコライ
・マルコ指揮のフィルハーモニー管弦楽団とチャイコフスキーの
ヴァイオリン協奏曲を演奏することになった。
1927年、モスクワに移り住み、そこで初めてリサイタルを開き、
後に妻となるピアニスト、タマラ・ロタレバ
(1906~1976)と出会った。
1年後に結婚し、1931年にはイーゴリ・オイストラフが誕生した。
1934年以降、オイストラフはモスクワ音楽院で教える職に就き、
その後1939年に教授となった。
1940年から1963年にかけて、オイストラフは、チェロの
スヴャトスラフ・クヌシェヴィツキー、ピアニストのレフ
・オボーリンとのトリオで盛んに演奏した。
このトリオは「オイストラフトリオ」と呼ばれることもあった。
オイストラフは、オボーリンやフランスのヴァイオリニスト、
ジャック・ティボーとのコラボレーションも盛んに行っていた。
第2次世界大戦後、ソビエト圏の国々、さらには西側諸国
にも足を運んだ。
最初の海外公演は、設立されたばかりの「プラハの春」
音楽祭に出演し、大成功を収めた。
1949年にはヘルシンキで西洋での初コンサートを行った。
1959年には、指揮者としての第2のキャリアを築き始め、
1962年にはモスクワで指揮者デビューを果たし、1967年にはソ連の
著名なピアニスト、スヴャトスラフ・リヒテルとパ
ートナーシップを結んだ。
ソ連では、1942年にスターリン賞、1953年にソ連人民芸術家賞、
1960年にレーニン賞を受賞。
また、1935年のソ連コンクールでも優勝。
ワルシャワのヘンリク・ヴィエニャフスキ・ヴァイオリン
・コンクールで16歳の神童ジネット・ヌヴーに次いで2位に入賞し、
さらにブリュッセルのエリザベート王妃コンクールで
グランプリを獲得した。
David Oistrakh, Debussy - Clair de lune
David Oistrakh - Ravel "Tzigane"
David Oistrakh Introduction & Rondo Capriccioso, Op 28
David Oistrakh Saint Saens Introduction and Rondo Capriccioso, Kiril Kondrashin,
Live 1954 Moscow