NHK BS1 BS世界のドキュメンタリー「イツァーク ~天才ヴァイオリニストの歩み~」を見て – 新宿の音楽教室 東京音楽院 Kons-News

 

イツァーク・パールマン(Itzhak Perlman、1945年8月31日 - )は、

イスラエルテルアビブ生まれのヴァイオリニスト

指揮者、音楽指導者。20世紀後半における最も偉大な

ヴァイオリニストの一人と評価されており、

 

また知名度においても最も秀でたヴァイオリニストの一人である。

演奏においてのみならず、教育者としても高く評価されている。

 

4歳3ヶ月のとき、ポリオ(小児麻痺)にかかり、下半身が

不自由になってしまう。

 

それでもヴァイオリニストになる夢をあきらめず、幼少ながら

シュミット高等学校でヴァイオリンのレッスンを続ける。

 

その後、アメリカ=イスラエル文化財団の奨学金を受けて、

テル・アヴィヴ音楽院リヴカ・ゴルトガルトに師事し、

10歳で最初のリサイタルを開いた。

 

これを機にイェルサレム放送管弦楽団の演奏会に招かれ、

ラジオにも出演する。

 

テル・アヴィヴ音楽院卒業後の1958年、13歳の時、

アメリカの人気番組「エド・サリヴァン・ショー」のタレント・コンクールに応募して栄冠を勝ち取り、翌1959年2月に出演、

リムスキー=コルサコフの「熊蜂の飛行」やヴィエニャフスキ

「華麗なるポロネーズ」を弾いて大絶賛を浴びる。

 

1964年8月にはレーヴェントリット国際コンクールで優勝する。

18歳での優勝は史上最年少であった。

 

1966年から始めたレコーディングではグラミー賞15回を

はじめとしてエミー賞を4回受賞するなど、ほとんどの

レコード賞を獲得している。

 

1989年には長年の活動を評価され、ジョージ・H・W・

ブッシュ大統領から「モデル・オブ・リバティ」、

2000年にはクリントン大統領から「ナショナル・モデル

・オブ・アーツ」の称号が贈られている。

 

かつてフランスのヴァイオリニストエミール・ソーレが所有

していたグァルネリ・デル・ジェス

「ソーレ(Sauret, 1740-1744)」を1986年に得る。

 

同じ86年、ユーディ・メニューインよりストラディヴァリウス

黄金期に類される1714年製「ソイル(Soil)」を購入。

 

パールマンが23歳の時にメニューヒンに弾かせてもらい

恋に落ちた楽器で「もし手放す気になった時には是非

僕に売ってください」とお願いしていた。

 

John Williams, Itzhak Perlman - Schindler's ListKlezmorimI

 

Itzhak Perlman - Dvořák: Romance in F Minor, Op.11 (1975) 4K

 

Itzhak Perlman - J. Massenet "Thais" Meditation

 

Itzhak Perlman - Introduction & Rondo Capriccioso