レオニード・ボリソヴィチ・コーガン(Leonid Borisovich Kogan、1924年11月24日 - 1982年11月17日)は ウクライナ出身
モスクワ中央音楽学校に通った後、1943年から1948年まで
モスクワ音楽院に在籍。
1948年に卒業後は1951年まで研究科に所属した。
コーガンは、大器晩成型のオイストラフとは対照的に、
「魔神と契約した天才」と称される程の早熟の天才であった。
公式デビューは1941年、モスクワ音楽院大ホールにおいて、
モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団との共演により
青年音楽祭で、J・シトコヴェツキー、I・ベズロードニーと共に優勝。
また、コーガンはN・パガニーニの全作品演奏に挑み、
モスクワで入手可能な作品の全演奏を達成した。
奇想曲全24曲を一夜で演奏した演奏会は歴史的な演奏会とし
て伝説となった。
1951年には、ブリュッセルのエリザベート王妃国際音楽
解釈にも卓越したところを審査委員長
ジャック・ティボーに示し優勝した。
また、イザイ・メダルも受賞した。1955年には世界的な
コーガンのアメリカ合衆国デビューは大成功であり、ハイフェッツ
、ミルシテインとの親交を深めていったが、米ソ冷戦時代の
悪影響のためかカーネギーホール演奏会爆弾騒動等、
反ソ、反ユダヤ運動の標的にされ、人気も
翳りを濃くしていった。
コーガンの愛器は2挺で、どちらもグァルネリ・デル・ジェスである。
ひとつは1726年製の「エクス・コラン」、もうひとつは1733年製の
「エクス・ブルメスター」だった。
弓はドミニク・ペカットを愛用した。
演奏・解釈
コーガンは技術においても解釈においても至高の演奏家の
ひとりと認められている。スタイルは、同時代のたとえば
オイストラフに比べてさほど個性的ではないものの、
むしろモダンであると見なされている。
コーガンは、速くて澄んだ音色のヴィブラートを使い、
無骨でひきしまった、攻撃的な演奏を行なったと伝えられる。
すべての弦とすべてのポジションにおいて、ムラのない豊かな
響きを保とうとして、高音域で響きが減速しないように努めた。
Leonid Kogan - Cantabile, Paganini
Beethoven Kreutzer Sonata - Leonid Kogan
Bizet- Waxman Carmen Fantasy (Leonid Kogan & Svetlanov)