Arthur Grumiaux with violin

 

アルテュール・グリュミオー(Arthur Grumiaux, 1921年3月21日 - 1986年10月16日)は、ベルギーヴァイオリニスト

 

「一貫して美しい音色と完璧なイントネーション」を持っていることで知られている。ピアニストとしても活動した。

 

演奏家としてのデビューは、14歳(1935年)のブリュッセルで

という説もあるが、18歳あるいは19歳の1940年、

ブリュッセル交響楽団(Brussels Philharmonic)とともに、

メンデルスゾーンの『ヴァイオリン協奏曲 ホ短調』の

演奏が広く知られている。

 

グリュミオーはナチス・ドイツへの協力演奏をしなかったため、

第二次世界大戦中の演奏の機会は限られていたと考えられる。

 

1945年にロンドンデビューを果たし、1949年からはかつて

自身も学んだブリュッセル王立音楽院のヴァイオリン科で

教鞭を執った。

 

戦後になってからソリストとしての名声がうなぎ上りとなり、

ピアニストのクララ・ハスキルをパートナーに迎えて

演奏活動を行なった。

 

1960年にハスキルが急死してからは、一個人としても演奏家

としても虚脱感に見舞われている。

 

グリュミオーは音楽界への貢献が認められ、1973年

国王ボードゥアン1世により男爵に叙爵された。

 

その後も持病の糖尿病に苦しめられながらヴァイオリンの指導を

続けたが、1986年心臓発作によりブリュッセルにて他界した。

特徴

グリュミオーは、あらゆるジャンルにわたってヴァイオリン作品を

幅広く演奏・録音した。

 

そのレパートリーは、バッハヴィヴァルディといった

バロック音楽の作曲家をはじめとして、モーツァルト

ベートーヴェンブラームスといった古典派ロマン派

協奏曲やソナタ、ヴィオッティの協奏曲、パガニーニ

超絶技巧協奏曲やその他協奏作品、フランクフォーレ

ソナタといった近代以降の定番や、

ヴュータンのようなお国ものに加えて、ベルク

ストラヴィンスキーのような20世紀の音楽までに

及んでいる。

 

いずれの曲目においても、グリュミオー独特のヴァイオリンの

艶やかな音色と、瑞々しいまでの抒情性が抜きん出ており、

同時に気高い品格を感じさせるのがグリュミオーの

演奏様式の特色である。

 

特に、グリュミオーのヴィブラートはヴァイオリンの演奏史上

最も美しいと称される。

 

著名な弟子にはオーギュスタン・デュメイがいる。

使用した楽器

ヴァイオリン

肩当ては、ドイツのGEWA社のModell llを使用している。

 

Arthur Grumiaux plays Mozart Cadenza 1968 (extract)

 

グリュミオー ≪珠玉のヴァイオリン小品集≫Ⅰ Grumiaux “Violin of the gem”

 

Arthur Grumiaux : Vitali, Chaconne

 

Arthur Grumiaux " Meditation " ( Thais )