21世紀を代表するヴァイオリニスト、ヒラリー・ハーン。
これまでにグラミー賞を3度受賞。スズキメソッドの卒業生。
アメリカ、州レキシントンで生まれた
ヒラリー・ハーンは、1983年ボルティモアに移り、そこで初めて
地元の子ども音楽教室でヴァイオリン・レッスンを受ける。
1985年からボルティモアにて、クララ・ベルコヴィチ女史の元で
5年間レッスンを受ける。
オデッサ(ウクライナ)出身のクララ・ベルコヴィチ女史は、
ボルティモアに移住する前、25年間にわたり
レニングラード英才音楽学校で音楽に優れた生徒に教えていた。
1990年、ボルティモアのLeakinHallで、彼女は初めての
リサイタルを行う。弱冠10才フィラデルフィアのカーティス
音楽院に入学、83歳のヤッシャ・ブロツキー氏に師事する。
ブロツキー氏はウジェーヌ・イザイの生存する最後の
生徒であった。同年、彼女は初めてラジオ出演も果たす。
1991年:12月、バルティモア交響楽団と、メジャー
・オーケストラ・デビューを果たす。
1992年:カーティス音楽院の、教養学科と外国語の学部課程を履修。
1993年:ハンガリーのブダペスト祝祭管弦楽団とヨーロッパ
・オーケストラ・デビュー。シュリー・シュル・ロワール
・フェスティバルで、のちのリサイタル・パートナー
となるナタリー・シューと共演、ヨーロッパ室内楽
デビューを果たす。
1994年:クリーブランド、ニューヨーク・フィルハーモニック、
プッツバーグ交響楽団など、アメリカの一流オーケストラと初共演。
1995年:その後4年続くこととなる学業の最初の夏を過ごし、
アメリカヴァーモント州のマルボロ音楽祭に参加し、
講習会や室内楽コンサートに出演。
1996年:J.S.バッハ:無伴奏ソナタ・無伴奏パルティータ集の
ソロ演奏収録をリリース、この作品は、
1997年のディアパゾン・ドール賞に選ばれ、ビルボード誌
クラシックチャートを何週にもわたって賑わすヒット作となった。
フィラデルフィア管のソリストとしてカーネギーホールにも
デビューした。
バッハ:ブランデンブルグ6協奏曲をニューヨーク、
リンカーン・センター室内楽協会と演奏。
1998年:ボルティモア交響楽団、デヴィッド・ジンマン指揮、
ベートーベン:ヴァイオリン協奏曲と、バーンスタイン:
セレナーデの録音がグラミー賞ノミネート、
ディアパゾン・ドール賞受賞、そして、その数ヵ月後、
ドイツのエコー・クラシック賞を受賞。
1999年:カーティス音楽院卒業、音楽学士号取得。
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ロサンジェルス
・フィルハーモニック、サンフランシスコ交響楽団と初共演。
エドガー・メイヤーが彼女のために作曲、彼女にささげた
ヴァイオリン協奏曲を演奏、録音。
2000年:バーバー、メイヤーによる協奏曲の1999年録音が、
ドイツ・シャルプラッテン賞と、カンヌ・クラシカル
・アワードを受賞。
ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで、BBCプロム
「ラスト・ナイト」に、主演ソリストとして初出演。
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と日本ツアー。
2002年:ドイツ・グラモフォンと独占契約を結び、
ロサンゼルス室内管弦楽団、ジェフリー・カハーン指揮による
J.S.バッハの4つの協奏曲を録音。
アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ
との録音、ブラームスとストラヴィンスキーの協奏曲が、
ル・モンド・ラ・ミュージックのショック・アワード受賞、
翌2003年グラミー賞受賞。
メンデルスゾーンとショスタコヴィッチの作品録音をリリース。
2003年:ドイツ・グラモフォンよりJ.S.:バッハ協奏曲集が秋に
リリースされ、高い評価を得る。
2004年:ロンドン交響楽団、サー・コリン・デイヴィス
指揮による、エルガーのヴァイオリン協奏曲、ヴォーン
・ウィリアムズのあげひばり(2003年末録音)収録の、
ドイツ・グラモフォンからのセカンド・アルバム発売。
ナタリー・シューとの、モーツアルト:ヴァイオリンと
ピアノのためのソナタの録音が控えている。
ヒラリー・ハーンは、J.B.ヴィヨーム1864年製作の
ヴァイオリンを使用している。
Young Hilary Hahn plays Bach
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