7月の中頃、福井県南条郡南越前町にある今庄宿に行ってきた。

今庄は京の都から北陸地方への玄関口に位置しているため、

古くから交通の要衝であり、江戸時代には参勤交代のための

越前有数の宿場町として栄えたところ。

現在もなお当時の面影を残す町並みが残されている。

スケッチ左側は京藤甚五郎家で、今庄宿で一際異彩を放つ家。

江戸時代、酒造業を営む一方で脇本陣にも指定された今庄宿有数の旧家。

県内最古級の町家で、屋根には卯建が上がり、外壁は全面塗籠するなど、

当時の財力と強い防災意識をうかがうことができる。

 

ワーグマン水彩紙厚口F6細目

7月上旬のスケッチ会は、名古屋市中区にある久屋大通公園に集合し、

自由に描くことになった。

連日の猛暑のため、とにかく日影を求めて北へ歩いてみた。

広い芝生の広場で、何かのマーケットをやるらしく

テントを広げて準備をしていた。

その横の歩道では、その客を当て込んでかキッチンカーが2台停まっていて

準備をしていた。

ちょうどその手前に木が茂っていて木陰を作っていたので、

そこで準備中のキッチンカーを描くことにした。

 

ワーグマン水彩紙厚口F6細目

前回に引き続き、松平郷のスケッチ。

松平東照宮から250mの遊歩道の坂道を室町塀に沿って登ってゆくと、

「高月院」に至る。

高月院は松平氏の菩提寺で、徳川家康より寺領100石が与えらえ、

明治維新まで時の将軍家から厚い保護を受けていたらしい。

山門や本堂は徳川家光によって建てられたものと言われている。

 

ワーグマン水彩紙厚口F6細目

前回に引き続き、松平郷のスケッチ。

松平東照宮の歩道脇に一本の「笠掛けかえで」の木がある。

その昔、流浪僧「徳阿弥(とくあみ)」が高月院を訪ねてこの地を訪れ、

このかえでの木に笠を掛けて一休みしていた。

そこへ当時の当主在原家の次女「水姫(すいひめ)」が井戸の水を汲み、

アヤメの花を一輪添えて徳阿弥に差し出したのが二人の出会い。

やがて二人は結ばれ、徳阿弥は、この地の初代松平家当主

「松平親氏(ちかうじ)」となったとのこと。

以後、この井戸のご縁によって多くの男女が結ばれたと伝えられているらしい。

この井戸は昭和7年の水害により土砂に埋もれてしまったものを、

松平東照宮の氏子たちの力により復元されたもの。

 

ワーグマン水彩紙厚口F6細目

 

6月中旬、愛知県豊田市にある松平郷に行ってきた。

松平郷は、豊田市街から東に10㎞、国道301号線沿いの山村にあり、

徳川三百年のもととなった松平氏発祥の地である。

今からおよそ六百年前この地に発祥した松平氏は、

三河を平定し天下泰平の礎とした。

松平東照宮から高月院にかけての250mの遊歩道沿いには、

「室町塀」と呼ばれる土塀が作られ、室町期の歴史景観を醸し出している。

自然保全にも配慮され、様々な山野草を見ることもできる。

訪れた時は、ちょうどアジサイの花の時期を迎え、

室町塀の上にも花があふれていた。

 

ワーグマン水彩紙厚口F6中目