神仏はわたしたちが手を合わせるとき、
まず最初に「心を向けてくれて、ありがとう」と言っている。





これは本当の話です。






わたしたちがどういう思惑で
神仏に向かっても



まずは、心を寄せてくれたと
喜んでくれます。



だからこそ、神社仏閣は
いつも気が爽やかで
いつも変わらず
わたしたちを迎え入れてくれる
場のエネルギーがあります。



わたしたちが感謝を伝えようと
何かお願いしようと
思いっきりすがろうとしようと



そんな魂胆は神様は分かっているのに



「よく来たね!」
「来てくれてありがとね!」と喜んでいる。



なぜならこれが
神様や仏様のわたしたちへの
仕事始めになるから。



わたしたちの生活の中にも
同じことが言えます。







専業主婦(夫)であっても
パートでも正社員でも
みんな仕事をしています。



子どもにだって「仕事」はあります。



ここでいう「仕事」とは
お金を得ることだけでなく
生活や人間関係の役割分担も含んで
考えてみてください。



「何かしなくてはいけないこと」と
「した方がスムーズにいくだろうと知っていること」と「する」ということに関しては
屁理屈抜きです。



だったら
仏頂面でされるより
笑顔でされた方が気持ちが良くないですか?



その逆でどうせやるなら
気持ちよくできた方がやりがいがある。



何をするにも
笑顔の方が良くないですかということです。






話は戻りまして、
神様や仏様はわたしたちに
事の初めに喜びから接してくれます。



わたしたちが変な状態で近づいて行ってもです。



神様や仏様は問答無用で
わたしたちと友好な関係を
結んでくれているのです。



先に。



そう、「先に」です。



なぜなら、無条件の愛を示してくれているから。



わたしたちにとって無条件の愛は
とても難しいです。



他人に対しても
自分に対しても
家族にも我が子にだって
分離の意識が強く働くようにできているから。



他人に対して無条件になるなんて
ハードルが高すぎます。



だから毎日しないといけない「仕事」から
コツコツと練習すると良いです。



「仕事」は自分のことだから。
自分がスイッチを入れればできるから。
自分で切り替えれば解決するから。



これは品行方正な話ではなく
正しい心持ちを言っているのでもなく。






わたしたちはグダグダ文句ばかり
頭をよぎっているけど



無条件に愛されていることを
忘れるからそうなるという話です。



相手に対して
都合よく愛されにいって
都合よく愛するのをやめる。



そんなことをしていたら
いつまでたっても
わたしたちの目の前の「仕事」は
終わりませんよ。



つまり、次のステージには
進めないということです。



「わたし」と「仕事」を
有効的に結びつけて



わたしと周りの人達と友好な関係を
結んだらどう?と
そんな話を神様としました。



耳が痛かったです。





粋龍