こんばんは。

ミステリ案内の稲葉の白兎です。

八甲田山シネマコンサート。

セリフはそのまま、音楽だけが生オーケストラ。

後半はほとんど画面に集中して、
音楽部分は意識することなく、
あっけなくシネマコンサートは終わりました。

後半は普通に映画を観た、と言う感じ。

最初はオーケストラの姿に異物感がありましたが、
どっちを見ていいのやら、みたいな。
でも、やはりストーリーを見てしまいました。

普通の小説もそうですが、

初回、

しばらく経っての再読、

さらに再読

では、年齢のせいか、
経験のせいか、

感想がまちまちです。

まず北王子欣也の神田大尉ですけど、
指揮権をいきなり山田少佐に奪われてからというもの、

怒った顔が多い。

原作では、諦めや苦悩が目立ちましたが、
映画では、彼なりに打開しようと、山田少佐に意見してました。

これは事実ではなく、私から見てということです。

「天は我々を見放した」は、
それほど印象的ではなく、

インパクトのあるセリフは
弘前隊の高倉健の
「ここで見たことは一切口外してはならぬ」
です。

神田も悪かったですが、すぐに気を取り直してます。

気候にも怒ってましたが、
おそらく山田少佐と倉田大尉に対しての
暴言かもしれません。

なぜなら、神田大尉は、
後半、
彼らと行動を共にしていません。

生き残りの兵士の証言によれば
山田少佐は
全く神田大尉に相談することなく、

突然雪壕を出る命令を出したり

誰かの帰路がわかった発言を鵜呑みにして、
行軍を開始してしまったり

それが彷徨を根深いものにしてしまったと。

ところで、逆の方向から11日の行軍を開始した徳島大尉の一行は、

一人の犠牲者も出さずに浪岡まで帰営しました。

しかし、この壮挙は
映画にならなければ
世間では知られていないことです。

規模も日程も目的も全く違うので、
比べてはいけないのです。

映画と
事実は多少異なるらしいです。

どうしても成功した31連隊が立派に見えますが、
後ろ暗いところが無きにしもあらず。

その歴然とした差が案内人の有無です!

秋吉久美子演じるサワという女は実は
山本ハルというモデルがいました。

女案内人は演出ではなく、事実です。

それから、八甲田超えを敢行する直前
いつのまにかワラをかぶった7人の男衆が登場しています。

どこで雇ったのか、映画では一切の説明は無し。

気がついたら増えていた!

涼しい顔の徳島隊にも、
初の生死をかけたピンチが訪れます。

猛吹雪の田代越え。

7人の案内人を先頭に
どーにかこーにか乗り切ります。

映画のクライマックスですね。

徳島の少年時代の四季折々の回想シーンが出てきます。

これは、神田大尉と酒を酌み交わした時、
辛い時は楽しかった頃を思い出すようにしているという、
どちらかと言うと、徳島が神田のセリフを思い出すという伏線回収です。

史実では
この命がけの案内をした7人の男衆は、
帰路がわかった途端
案内料を渡され「ここで見たことは誰にも言うな!
言うと酷い目に遭うぞ」と脅されたとのこと。

そして、まさかの置き去りにされました。

命からがら帰った後も

重い凍傷のせいで
病気になって死んだり、

農作業に支障をきたしたり、

口止めのことに怯えていたり

全く良いことがなかったそうです。

口止めとは、
もちろん、遭難現場を通りかかって死亡してる兵士を発見したことです。

映画では舌を噛んで死んでいる神田大尉を発見してました。

遭難現場を見たことは悪い事なのか?

そもそも本当に両隊はすれ違ったのか?

史実では
東奥日報の東海という新聞記者が同行して、
遭難現場から2丁の銃を拾って持って歩いたと
記事にしたようです。

しかし、
不思議なことに
東海記者は、
まるで八甲田山のことが原因であるかのように
まもなく新聞社を辞めています。

その後このことを語るのを避けたフシさえあるようです。

それを照らし合わせると、
普通に両隊はすれ違い、
つまり、遭難現場を通りかかったのは
ほぼ間違いない、と。

映画と違うのは
徳島と神田の交流はなく、
そもそも弘前隊は青森隊の雪中行軍のことを全く知らなかったそうです。

同じ時期になったのは偶然。
山田少佐が弘前に対抗意識を燃やして
突如、神田大尉の中隊に加わったというのは、
創作です。

青森5連隊の遭難が無残すぎたので
口止めをしたのか?

見捨てた、見殺しにした
という負い目なのか?

私が納得いかないのは、
青森5連隊の留守部隊というか捜索部隊です。

25日の時点で、
帰営しない山口軍を何とも思わなかったのか?

最初に遭難者が発見されたのは27日です。

斥候に出かけた江藤伍長が仮死状態で佇立してるのを
森田健作演ずる三上少尉が発見しました。

23日に出発してます。
最低でも25日に戻ってないとおかしい。

なのに捜索隊が出されたのが27日。
しかもこの日は、
江藤の救出と、神田大尉の死体回収で終わっています。

本格的に捜索隊を出したのが29日。

遅いです!!

原作には、
二重遭難を恐れて捜索出来なかったとあります。

25日に捜索を開始してくれていたら‥‥
と思います。

映画では
本部は無事に到着した31連隊と取り違えたことになってます。

徳島大尉、本名福島泰三は、
この壮挙の後、
英雄視されるどころか、

更迭に近い人事。

前線に送られて戦死しています。

戦死といえば
5連隊の軽度の負傷で済んだ倉田大尉、伊藤中尉も
前線に送られて

戦死しています。

寒さに打ち勝ったはずなのに??

最後のミステリは
山田少佐。

よく生きて帰れたと思いますが、
すぐに衛戍病院で亡くなっています。

映画では自殺してました。

責任を痛感したからです。

しかし、ホンモノは
どこまで痛感したかはわかりません。

神田大尉の指揮権を奪ってしまってゴメンなさいとは、
どこにも
誰にも言ってません。

もはや自殺を考える気力も体力もなかったと考えていいようです。

無事に回復したら、
責任は取らされるでしょうが。

密殺されたのではないかという噂もあるようですが、
まぁ私は山田少佐の事はどーでもいいです。

映画の自殺は良かったです。
ある意味ホッとしました。
生きてちゃダメでしょ?(笑)

ホラーだったら、
神田大尉の亡霊が殺しにきたかもしれませんね。