こんばんは。

いつまで続くこの寒さ。

私がよく使うバスで🚌
ある営団地下鉄の駅前停留所で、いつもゴッソリ人が沢山降りるのですが、

昨日もそこで例外なく人が降りたのですが、
ゴッソリと人がいなくなった分、

バスの中がめちゃくちゃ寒くなりました。

寒い日でも、電車はあったかいのに、
なぜバスは寒いのか

隙間なく人がいてくれると暖かいわけだね

ということで、また禁断の本屋ブラリ。
わざわざ入ったわけではありません。
ターミナルビルの商店街の中にあり、
素通りが不可能でした。
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なんで、こんな本が本屋に並べられてるかな。

私がブログに書いたからだ。(笑)

刺すような寒さを味わったばかりで、
またしても、

我々都民はマイナス1度にもなってないのに、
ギャーギャー騒いで、

明治35年の八甲田山の雪中行軍は、平均すると
マイナス10度〜20度の吹雪で、歩き回って、
おそらく立ったまま眠って、食べ物もほとんど口にせず、


最初の救出者が遭難から5日後で、
一番最後の発見が12日目だから驚きます。

雪中露営研究のため一泊二日の予定で1月23日に屯営を出発した青森5連隊210人は、
炊事道具などを運ぶ橇隊が大幅に遅れ、
そのうちどんどん天候は悪化して、
夜になっても、目的地に着かずそのまま遭難。

その3日前に逆方向から出発した福島大尉率いる弘前31連隊約37人は、
途中、民間人の助けを借りるも、
1人の故障者も出すことなく無事に約10日間の行軍を果たします。
映画では高倉健が徳島大尉というリーダーを演じていました。

何から何まで対照的な2つの連隊。

しかし、弘前の福島大尉は、すでに岩木山踏破など、実績があり、青森5連隊のほうは何もなくほとんどぶっつけ本番に近かったという違いがあるため、今回の失敗や成功を比べるのは、それこそ時期尚早。

この二連隊は、現在も存在し、5連隊の5科という名前でそのまま引き継がれ、弘前31連隊のほうは、現在は39連隊になっています。

毎年、5連隊は、慰霊行軍を実施。
あの時と同じ1月23日に二泊三日で、田代まで行くという。

それはいいとして、
第9師団は毎年クロスカントリー競技を冬季に実施し、
5連隊と39連隊が毎年、優勝を争っているという、
これのために一年をかけて、選手要員の錬成に余念がないとか。

明治35年以来の確執?
ライバル心がいまだに持ち越されているらしいです。



これを書いた伊藤薫さんってかたは、
映画「八甲田山」が公開された昭和52年に自衛隊に入隊、
旧青森5連隊に所属。

映画を観てショックを受けます。

三国蓮太郎演じるアホ少佐に怒りを覚え、

31連隊の成功は、面白くなかったと、
セキララに述べております。

それは、福島大尉のことを

利用できるものはなんでも利用し、
用が済むとゴミのように捨てる

と、激しい言葉で糾弾しているのでも明らか。

民間案内人7人のことでしょう。

その対抗心、こわ〜