こんばんは。

稲葉の白兎です。


再び震え上がる寒さの到来です。

明日は雪景色なのでしょうか?

今日もバスは、厳寒の停留所で並ぶ我々を放置。

また八甲田山を思い出してしまいます。
青森5連隊は、1月23日に出発し、即日遭難。
一番最初に発見・救出された者は、27日。

それまで5日も、ほとんど食べ物もなく、ひたすら彷徨をつづけたのだからスゴイ。

最後の生存者発見は2月2日。

今日よりマイナス10度は低い、吹雪の中、9日間も生き延び続けられたのは、
単に、冬山での過ごし方を知ってたからで片付きますでしょうか?❄️❄️

昨日、紹介した「残酷過ぎる成功法則」の中に、
またしても面白い項目。

「過酷な状況で生き延びた人びとの共通点とは?」

サンプルは沢山あります。

メキシコの小さな村で生まれ育ったアルフレッド少年。
彼は、人種差別を受けながら学校を優秀な成績で卒業し、アメリカの市民権を得、

最終的に、全米はおろか、世界トップクラスの脳外科医となりました。

ジェームズは、水泳の全米代表選手になることを夢見てきましたが、ある日、手の骨折をし、夢は潰えました。
しかし、6年後、世界一過酷な海軍特殊部隊シールズに入隊。
そこで最も過酷な水中爆破訓練に参加。

例えば110時間、睡眠が許されず、丸太を頭上に掲げて何時間もはこぶとか、
潜水具を着けて水中に潜ってる時、教官はレギュレータ(呼吸装置)をいきなり引き抜いてくるとか、の地獄の訓練。

志願者はどんどん脱落していきます。

この時の志願者256名中、バッジをもらえたのはわずか16名。
ジェームズはその中に入っていました。

そして極め付けは、アウシュビッツ収容所。

1500人が詰め込まれています。
囚人たちは、週に2切れのパンが配られ、これで命をつなぐという。

恐怖は果てしなく続き、
多くの者が電流の流れている有刺鉄線に飛び込みました。

生きながらえた者はどんな人物か?

屈強な者
若者
勇ましい者
従順な者

これらは、みな、否!です。

意外ですね。

特に屈強な者は、長持ちしなかったそうです。

そんな中、ビクトール・フランクルは終戦まで生き延びました。

外見的要素ではなく、
内面的要素のほうがはるかに重要でした。

彼は、故郷の妻のことを毎日考えて暮らしていました。

生きる「希望」
もしくは、

どうしても、会いたい人がいるとかいった
切実な生還欲求。

自分以外の何かのため。



とにかく、この本は、ホント、ボリュームありますわ。(*_*)