こんばんは。

ミステリ案内人・稲葉の白兎です。

今日は、何日かぶりの気持ちのいい晴天となりました。

本日29日は、逆ルートの八甲田山雪中行軍・
弘前31連隊が、青森に到着。
地元の歓迎を受け、プチ凱旋しております。

映画では、もう少し前の日付で、
日の丸の小旗を子供たちがパタパタと振って高倉健以下38名を迎えていました。

そこで
「そういえば青森5連隊は、どうしたのだ?」
という関係者による疑惑が初めて浮上。

5連隊の本部は、弘前隊の到着を、
完全に取り違えて、帰還したものと思い込んでいたのです。

実際の東奥日報の従軍記者による始末記によれば、この日31連隊は、青森5連隊の遭難現場に遭遇していたのです。

7人の地元案内人に命令した「誰にも見たこと言うな」
は、青森5連隊の遭難に遭遇したことを指しているようです。

実は、生存者もいたのに、
31連隊も危機的状況にあり、助ければ、自軍にどんな犠牲者が出るかもしれないということで、
見殺しにせざるを得なかった。

これは、遥かのちのちの推測です。
ナゾの部分です。

今ひとつ、弘前隊の功績が陰に隠れてしまっているのも、そういう事情があってのことかもしれません。

その10年前には南極探検を目指したノルウェーのアムンゼン隊と
イギリスのスコット隊の、見事なまでに明暗を分けたレースがありました。


敗者のスコット隊ですが、
機械の故障と、ソリを引くポニーが全部死んでしまったことが80%の悲劇の原因を作りました。

というより、ポニーに橇を引かせた事自体が失策でした。
ポニーのエサも大変な荷物だし、エサが尽きたらポニーは終わりです。
なぜなら、草は現地調達できないからです。

一方、アムンゼンは犬ゾリです。犬の食糧は、現地調達、もしくは仲間の犬そのものだったりしました。

これは、実に八甲田山の神田隊と徳島隊にも当てはまりました。
荷物の運搬は、重要な要素です。

神田隊には、専用の行李隊がいました。

一方、徳島隊は、出来るだけ荷物の負担を少なくすることから、案内人同様「現地調達」なのでした。

それだけではなく、新田次郎の原作を読めば明らかですが、
徳島(本名は福島)は、少数精鋭、階級に寄らず、体格・体力共に優秀な志願兵しか従軍させませんでした。
今度の行軍が、過酷な寒さの人体実験であることを理解、研究して、装備やすべてが徹底されていました。

敗因の1つに、リーダーシップが挙げられています。
この雪中行軍は、企業研修の材料になっています。

指揮は士気。

リーダーの何気ないつぶやき
「天は我を見放した」
この、たった一言が、大勢の兵隊の士気を奪ったことは確かです。

スコットも、南極でノルウェーの🇳🇴フラッグを見て、
あからさまにガッカリを態度に表し、士気が下がりました。

細部まで、この2つの勝者と敗者は、
よく似ています。

リーダーのキャラクター、出身地、編成、途中の天候‥


何を持って勝者というか?


誰が勝者なのか?


まだまだ一言では片付きません。


ちなみに両軍とも、従軍できるほど軽傷な者は、徳島大尉も含め、すべて2年後のロシアとの戦争で戦死しています。