こんばんは。

今日は28日。

昨日よりは、気温はマシだったでしょうか?

明治35年の八甲田山に吹き荒れた吹雪も、27日をピークに回復していったようであります。

氷の彫像と化した後藤伍長の発見を発端に、

2月2日まで、次々と生存者を発見、収容していきました。

しかし、ほとんどの収容された生存者も、
その後死亡してしまった人も多く、

あと1日、

捜索が早く開始されていれば、

随分助かったのではないかと、すごく残念であります。

「八甲田山」完全版DVDを鑑賞した年の年末に、

まさか、自分がマイナス10℃以下の極寒を体験しようとは‥思いませんでした。

というのは、
私がケーキ屋さんでバイトしてまして、
クリスマスイブの日、クリスマスケーキを、
保冷車に乗って、番号を確認しながら、
取り出す、という作業をしたのです。

作業は最初は面白かったのですが、

10分経たないうちに、
耐えられなくなって、
外に出ました。

ずっと居たら死んでしまいますよ(笑)

休み、休み、入ってはケーキ箱を取り出して、
外の人に渡す、という作業だったと思います。

八甲田山の雪中行軍の兵隊さんたちは、
それを、24時間以上、体感したんですね。

それも−20°前後。

1日目で亡くなる人も沢山いましたが、

一週間経って、捜索隊に救出され、
生存できた人、たったの11名。

全員で210人でしたから
10人に1人しか助からなかったのです。

生還した人、すごい!!

助かった人は、
もちろん、偶然ではありません。

軍靴の中に油紙で包んだ唐辛子を入れていたり、

自分で焼き餅を携帯していたり、

吹雪いた時には、小屋に入ってじっとしてたり、

大雪対策に慣れていた青森出身の人に、生存者が集中していました。

北大路欣也の演じた悲劇の将校・神田大尉は、
秋田出身で、
そういう雪対策に関しては素人だったようです。

それに引き換え、
高倉健の徳島大尉率いる弘前31連隊は、
マニュアルがしっかりしてました。

青森5連隊は、3日ほど前に予行練習をしたのですが、
その日は晴天。
神田大尉の若い見習い卒が

「まるで雪の中のピクニックだ!(^o^)」

と楽しそうにはしゃいでいました。

これが油断を呼んだのですね。

全体に雪中行軍をナメた空気が蔓延してしまったようです。

当日の朝、村人が
「こんな日に出て行くのはキチガイだ。中止にしなさい。さもなくば、ワシが案内します」

それを一笑に付して断る5連隊。

午後、猛烈な暴風雪に見舞われます。

この日、軍のやった事は、間違ってたり、
全て裏目に出ました。
そしてどんどん深みにはまって、
大惨事に発展しました。

かたや、逆方向から攻める高倉健の弘前グループ総勢38人は、
出発日が青森より早く、20日に出ています。
日本気象史上最悪の日までには、いくつかの行程を消化していました。

高倉健のグループに前田吟がいて、
こう呟きます。
「この日、出発日でなくてよかった。この日にぶつかっていたら、どうなっていたことか。弟は大丈夫だろうか」

弟は、神田大尉の見習い卒でした。
「お前は絶対、参加するな!」という趣旨の手紙を書くのですが、
手紙が届くのが1日ズレて間に合わなかったのです。
お兄さんは、冬山の恐ろしさを、雪中行軍が難しいミッションだということを理解していたのです。

高倉健は、民間人の案内を
積極的に採用しました。

神田大尉は2泊3日の行程。
徳島大尉は約11泊。

途中、大暴風雪に見舞われたため、予定が少し狂います。

民間人7人を急遽雇います。

そして、神田大尉の、敗残部隊と化した遭難現場に出くわすのです。

行程を取りやめることなく、その後吹雪の八甲田山に果敢に挑みます。

八甲田山はちなみに、
そういう山があるのではなく、
連峰です。

この7人の民間人は、命がけで弘前31連隊を案内した後、置き去りにされます。

「ここで見た事は誰にも言うな。言ったら刑務所で生涯過ごすことになるぞ」

案内料をもらったものの、割に合わない生涯を7人は送りました。

この時にかかった凍傷のせいで、
日常生活に不自由をきたし、口止めの恐ろしい言葉が頭から離れませんでした。

現在、この7人の勇者を讃える紙芝居が
民間伝承されているそうです。

というのは、彼らがいなかったら、
徳島大尉も、青森5連隊と同じ運命を辿った可能性は否定できないのです。

弘前隊には、東奥日報の記者も従軍していました。

青森5連隊の生存者は、
手当を受け、それぞれの家に帰った後、
地元から熱烈な歓迎を受けました。

後藤伍長は村会議員を務めました。

彼らのほとんどは、凍傷で
腕なり、足なりを失くしていました。

それなのに、
彼らの嫁のなり手は、後を絶たなかったそうです。
彼らの嫁になることは、ステータスでした。


あんな目に遭って、生還したというのは、
そりゃもう、並みの人間ではないということですよね。

気力
体力
時の運

何かのフレーズみたいですが‥(笑)