こんばんは。

稲葉の女城主です。(笑)

直虎ロスの真っ最中です。

大河ドラマの最終回にはお約束がありました。

それは、最終回に主人公が死ぬ、ということ。

これは、他のドラマでは見られないことですね。

ふつう、死なない。

死んだら終わるけど。

金田一耕助シリーズの推理ドラマでは、
犯人が、告白した後、よく死にますけど。
死んで許してもらおうという考えは、好きじゃないです。
刑務所で罪を償うのが嫌なだけ、とかね。
名門の生まれとというプライドとかね。

大河ドラマでは、その主人公の一生を描くので、死ぬまでやるのが通例。

死なない主人公もたまにいましたが。

例外では、竹中直人の「秀吉」。醍醐の花見で終わり。関白秀次の処分もしないうちにエンド。
理由は、まさにそれ。
これ以上、秀吉を描くと、悪い事しか出てこない(笑)。

それ以外では、
ふつうに老衰とか、ですね。
寝込んで、そのまま還らぬ人に。

直虎は、情報がなくて、つまり何歳ぐらいで、何の後に死ぬのかが、まったくわかりませんでした。
番組の終わりの数分前に早足で老婆になるのだろうと漠然と思ってました。

まだ年齢的には、20年以上の余命があったはずのところで、亡くなったので、それも、子供時代に戻った夢の中で、という、あっけなさ。

不意を突かれた思いです。登場人物たちもそうで、小林薫の南渓和尚が彼女の死でかなり気を落としたのが印象的。
それから、相思相愛だった海賊のかしらが、船が難破してそのまま打ち上げられたらしい様子が、同時に亡くなったと想像を逞しくさせます。

役目を終えたあと、人は亡くなるそうですが、

信長から、家康に天下がバトンタッチされるのを予感、希望を持ったところで亡くなりました。

主人公によっては、
坂本龍馬のように暗殺で終わった人、

近藤勇のように、刑死した人、

去年の真田幸村は、戦闘の最中。

最近はそうでもないですが、
毛利元就の時は、やたらと回想シーンが出てきたりしました。
反省というか、振り返りというか。

大河によくある回想シーンの乱発は、このところ、見なくなりました。

主人公が二人の場合、片方は、当然、早くなります。
司馬遼太郎の「翔ぶが如く」は
西郷隆盛と大久保利通の二人が主人公でした。

最終回は、まず番組の最初のほうで西郷が西南戦争で自決します。
次の大久保まで少しタイムラグがあります。
大久保が胸にしまった西郷の写真を眺め、懐かしがって馬車が赤坂の紀尾井町に差し掛かった時、曲者に殺されました。

主人公が死んで悲しい場合は少ないです。

ハッピーエンドというか、
穏やかな死というか、
およそ、何をした後にそうなるか、時期や年齢がわかっているからでしょう。

悲しいのは、予想できなかった死に対してですね。

「新選組!」近藤勇が板橋の刑場で首を討たれた時は、悲しかったです。
特に好きな人物でもありませんが、なんと理不尽な、と同情しました。

それは、近藤の最期を私が知識として持っていなかったからですね。