こんばんは。
大河ドラマの解説って、お墓に関することが多いですよね。
井伊直政も、ゆかりの地、彦根の龍潭寺の説明がありました。
実は、その昔、龍潭寺に行きました。
写真にも撮りました。
でも、それは、井伊直政とまったく無関係の、無関心の行為です。
某検定の研修会が滋賀県大津市でありまして、
ちょうどその頃、「小説推理」に木枯し紋次郎で有名な、笹沢左保氏の連載がスタートしたばかり。
歴史小説で、関ヶ原で、石田三成が前日、各大名の配置を見ながら、誰が当日、キッチリ戦ってくれるか不安と猜疑に満ちた目で山を眺めるシーンから物語が始まります。
推理小説の専門の雑誌ですが、歴史小説も、掲載されてます。読み始めたら、意外と面白くて‥。
彼の居城佐和山城の跡を、彦根城の見学を兼ねて、研修前に寄ったのであります。
龍潭寺は、石田三成にも井伊直政にも、
ゆかりの地でした。
タクシーを待たせて、龍潭寺の奥の草むらに入り、佐和山城跡までひとりハイキング。
途中、道に迷ったりして、なかなかスリリングな体験でした。
関ヶ原で勝った東軍の主戦、井伊直政は、
論功行賞で、三成の居城佐和山城をもらい、その城を壊してすぐ側に彦根城を築いたと言われています。
私の推察では、そのまま佐和山城を改築して彦根城としたのではないかと、疑っております。
だって、わざわざ壊す必要ありますか?
不吉と言えば不吉だけど
そのまま使った方が効率的。
なので、手を多少加えたのみで、佐和山城改め、彦根城としたのではないでしょうか。
佐和山城は織田信長の家臣、丹羽長秀の居城でもありました。
見目麗しい城だったそうです。
なので、なおさら、彦根城=佐和山城では?
彦根城の見学は面白かったです。
ゆるキャラ彦ニャン😼も、存在してたと思います。
彦根城と言うと、
井伊直政よりも、
幕末の大老・井伊直弼の印象がやっぱり強いです。
考えてみたら、徳川家の四天王と呼ばれた家臣で、家光以降も、生き残れたのは井伊家だけです。
女城主直虎のドラマに出てきた徳川家臣たちは、初期のエリート石川数正は出奔したし、酒井忠次も消え、榊原康政は本多正信の陰謀で、群馬に追いやられ、
その本多正信が老衰で死んだあと、その息子正純は、彼に腹にいちもつ持っていた秀忠によって、秋田に流されました。改易です。
世に言う、宇都宮釣り天井事件です。
もうひとりの本多姓の本多忠勝も、元々頭のいいほうではありませんでしたから、これも陰険な正信が、うまく追い出しました。
井伊家だけが、譜代の名門として、幕末まで生き残ったわけです。
それにしても、昨日の大河ドラマのクレジット、
三浦春馬と高橋一生。
期待させといて、
出たのは碁石を持った手と声だけ。
最後まで脚本家のオリジナル路線に翻弄されました。
いい意味で。
三浦春馬くん、もう一度見たかったわー😩🖤