こんばんは。
大ベストセラー小説となった、
森村誠一の「人間の証明」と「野性の証明」。
タイトルの脇には
「長編推理小説」と小さな字で書かれてました。
高校生の時、映画のヒットもあって野性の証明を読んだのですが、
えっ、これ、推理小説⁈
と、驚いた記憶があります。
そうだったの!?
まあ、たしかに、東北の寒村で村人大量殺人で始まり、
主人公の保険外交員・味沢岳史の周りで不可解な事件・事故・殺人が起きますが‥
推理小説か、と言われると
なんか変な感じです。
推理小説とは、
「本格推理」であり、謎解きと犯人当てをテーマにしているというのが、一般的。
野性の証明は、
社会派推理小説でしょうね。
サスペンスがメインだし、
最後は、東北の事件の犯人がわかって、
「へえ!」と驚くものの、
頭に「社会派」がこないと違和感あります。
探偵が似合うのが本格推理で、
警察が出てくるのが、社会派推理もしくは社会派ミステリー。
特に映画は、後半は相当めちゃくちゃな展開です。
SF映画かと思ったほど。
原作とこれほどかけ離れた映画も珍しい。
前提は「推理小説」です。
だからといって、
原作は確かに殺人が出てくるのですが、エラリークイーンやアガサクリスティー、江戸川乱歩とは違います。
謎解きが目的のための話ではなくサスペンス。
松本清張は、社会派の語源となったオリジナルの人なので、
もちろん社会派小説が多数です。
横溝正史とクイーンは、「本格推理」です。
警察出てきますけど、
脇役です。
探偵の引き立て役です。
フジテレビのドラマに感化されて、「Yの悲劇」を読みましたが
テレビ以上にロジカルな推理場面が多数です。
特に探偵の中間推理がすごいんですよ。
中間報告ならぬ中間推理(笑)。
ハッター家の女主人・老婦人が階上にある寝室でマンドリンでぶん殴られて殺された晩、
テーブルにあった鉢の上の果物3つに、
致死量たっぷりの塩化第二水銀が注射されてました。
この果物は、同じ部屋で寝起きしている老婦人の三重苦の娘ルイザ専用であり、
他の人間が食べることはない。
サム警部がレーンに
「アンタはさっきから、老婦人を襲った人物と
ルイザの毒殺を狙った犯人が、同じ人物であるかのような前提で話をしてるが、
別々の人間が別々の目的で、あの晩、あの部屋に別々に訪問したとは考えられないかね?」
と問題を投げます。
つまり、Aは老婦人を狙ってマンドリンを持ち込み、
Bは、それとは違う時間帯に、ルイザ用の毒梨を鉢に置きにやってきた。もちろん、ルイザを殺すために。
しかも、サムはこんな事まで言います。
「犯人の真の目的は、ルイザを毒殺することであり、深夜、毒梨を持ち込んだのを老婦人に見つかり、大騒ぎをされたので、殴り殺したのではないか。老婦人殺害は計画外のハプニングでは?」
その質問に対して、レーンは
数学の方程式のように、
A=B
であることを、ひたすら物理的な解釈で証明します。
犯人は、マンドリンで殴った時に楽器がテーブルに当たって、
テーブルの上のパウダーの箱をひっくり返し、粉を床にぶちまけています。
そして、慌てて逃げた時、
粉を踏んだので、出口に向かった足跡が見事に床に残っていました。
警察の捜査で、その粉のついた靴はすぐに見つかりました。
それは下駄箱にあった白靴で、踵にパウダーの粉がついていただけでなく、
つま先に塩化第二水銀溶液のシミがあり、部屋に落ちてた注射器の中身と全く一緒。
白靴は、現場にあった粉の足跡と完全に、一致します。
Bである犯人は、現場の部屋で、梨に毒を注射して鉢に置き、その注射の際にこぼれた液が靴の爪先部分に付着したという事になってます。
一方、マンドリンで老婆を殴った人物Aは、
パウダーの箱をはたき落として、
マンドリンにはテーブルでつけた傷が残りました。
さらにその際、暗闇で、三重苦のルイザに顔を触られ、慌てて現場から出る際、粉を踏んだ足跡が、床に付きます。
その足跡こそ、下駄箱で発見された毒液付きの白靴によってつけられたモノであります。
要するに、犯人の履いてた靴を証拠とするなら、
毒液とマンドリンを持った人物は同一であると、
証明して見せるのです。
そして、ルイザがその毒梨を食べることはないということまで、証明してみせます。
サム警部、頭、わるっ。
最終の推理場面では、
本物の数字を足したり引いたりし、
別の計算式で
足したり引いたりして、
同一の答えを出しています。
犯人が薬品調達の根城にしてた実験室の
薬品戸棚を観察して、
レーンの頭には早くも犯人像が浮かんでました。
犯人バレバレでも、
その推理の過程に惹かれるのです。
数字は美しい!