こんばんは。
「机上の空論」という言葉があります。
計画と実行では、天地の差があります。
まして、プランナーと実行者が違う場合は‥。
計画‥妄想でなんとかなる
いくらでも立派にできる
リスクを考えてない
不朽の海外名作「Yの悲劇」はお屋敷ものです。
横溝正史の作品に
「犬神家の一族」というのがありますが、雰囲気は似ています。
ろくでもない人間の集まりの中で、
例えば珠代さんという人だけ、心も顔も美しい。
公開遺言状が出てくる。
ハッキリ言って、分配方法や条件が複雑。
そして、珠代さんはいついかなる場合も有利。
Yも、表面的にはそんな感じです。
資産家だし、珠代さんのように、台風の目となる女性が出てきます。
その女性の後見をすれば、財産は思うまま。
毒殺未遂、殺人、放火‥と事件は展開しますが、
犯人は分からずじまい。
後半、探偵役で、シェークスピアのハムレット役をロングランで演じた元俳優、ドルリー・レーンは、
もしかしたら、この犯罪は、計画者が別にいて、
その計画者は、今起きてる事件を知らないのではないか?
というありえない疑問を持ちました。
昨日の話でいう、計画者と実行者の間に共犯関係は
ない、という結論です。
レーンはある人物を容疑者と確信したものの、
どうも、本人のキャラと犯罪が、かけ離れているという違和感を感じたのです。
その推理を元に、計画書がどこかにあるという確信を持って屋敷中を捜索し、ついに発見したのでした。
例のボツになった推理小説のプロットです。
そして、プロットと実行には、かなりの齟齬がありました。
いわゆるズレがあったのです。
一方、「八つ墓村」も、計画者と実行者は別で、
計画者は、誰が自分の計画を盗んだか、そもそも盗まれたこと自体知らないのです。
そしていつのまにか、容疑者になっていました。
多治見本家を根絶やしにしたい犯人は、この八つ墓村の祟りを利用した久野医師の、計画表を最大限に実行しました。
久野医師は、新井先生ひとりだけでしたが、
犯人の目標は、3人の多治見家本家の人間です。
それ以外の項目はどっちが死んでもいいのです。
相当冷酷ですね。
八つ墓村には、医者、双子、尼、坊主、博労、等、皆ちょうど2人ずついるのです。
寺田辰弥が直系の跡取り候補と決まった時から、幕が切って落とされました。
しかし、一見、冷徹な犯人ですが
Yと同様、何回かミスを犯しています。
そのミスのせいで、同項目の2人が犠牲者になるという失態がありました。
小梅と小竹の取り違えもミスの一つです。
いや〜、1番のミスは、久野先生の計画を実行したことです。
辰弥さえ、亡き者にすればよかったのではありませんか?
久弥は最悪生きても三年ほど、春代も病弱で婿を取る話もない。双子の老婆は論外だし。
ワザワザ無関係の尼さんや坊さんを手にかけなくても、多治見家の財産ははちょっと我慢すれば、そう遠くないうちに分家に巡ってくるはず。
何、ハードルの高いことやっちゃうかな〜。