こんばんは。
藤井四段でしたっけ?
14歳の。
将棋界のプリンスが誕生しましたね。
若さだけでなく、すべてにおいてケタが違う。
将棋DNAを搭載してるとしか思えない破格タイプ。
◯L学園の話。
桑田真澄の15歳の甲子園デビューも、歴史が変わった瞬間でした。
連続サヨナラ奇跡の優勝の代から5年経って、◯L学園の印象も、池田の人気沸騰で弱まった頃、この救世主は、ひっそりとやってきました。
層の厚い◯Lに、1年生コンビが起用されてるという以外、特に人目を引いてはいませんでした。
夏の甲子園に5年も遠ざかっていて、強豪イメージが薄れつつあった◯L。
そんな状況で、この1年生コンビの活躍で5年ぶりの甲子園出場を決めます。
優勝候補は、池田、中京、横浜商、早稲田実、等。
池田人気は凄まじまく、しかも82年からの夏・春・夏の三連覇がかかっていました。
準々決勝で、ライバル筆頭候補の中京を破ってからは、誰もが池田の優勝を疑いませんでした。
この稲葉の白兎以外は(笑)。
何で誰も◯L学園の強さを、わかってくれないのか? それを、証明するには◯Lが直接池田に勝つしかないように思えました。
そしたら、まさかの対決が実現したのです。
準決勝で。
その時の水野雄仁投手の前日のインタビューが忘れられません。
「◯Lの人文字の中で快投だ!」
と水野選手は答えているのです。
◯Lを舐めきった発言に、ムクムク怒りが。
というのは嘘で、これは、チャンスかもしれないと思いました。
この発言は奢る平家。完全に油断してます。
織田信長vs今川義元の桶狭間の戦いを思い出します。相手が弁当をとって油断しているところを狭隘地を利用して、一気に本陣に突っ込んだ織田勢。
とはいえ、やはり気が気ではありませんでした。
その日は運悪く学校に用事がありました。
やっと用事を済ませ、帰ろうとした時、校庭から「池田が負けた」という声が。
時計を見ると、試合終了には早過ぎる時間でした。
なんだ、デマか。
駅ビルでテレビ中継をやっていたので覗くと、6対0。どっちが6なのかわかりません。
これはヤバイと思いました。
「池田が負けた」のデマはまんざらでもなかったのかも。
とにかく家に帰ってテレビを見ようと、電車に乗りますが、待ちきれずに電気屋に直行。
大量得点で勝ってるのは◯Lのほうでした。
我が目を疑うとはこのことですね。
最終イニングの9回でした。走るように帰りました。決勝進出のカウントダウンに間に合いました。
甲子園は異様な空気に包まれていました。
インタビューも、アナウンサーが興奮を押し殺しているのが伝わります。
桑田真澄は、歴史を変えた!
この、何の変哲もない、むしろ弱そうに見える華奢な投手が、この日を境にプライバシーが一切なくなるような有名人になってしまったのです。
白兎もこの日を境に、◯Lというより、桑田真澄という一個人そのものに興味を覚えたのです。
メンタルが普通ではない気がしました。