今日は35℃でしたっけ?
またまた暑い日になりましたが
お元気でしょうか。

歴史上、最大にして最悪の裏切り者として名高い「小早川秀秋」。

なぜ彼が最悪なのか?

謀叛人の代名詞・明智光秀は、「三日天下」「天王山」「敵は本能寺にあり」「洞ヶ峠を決め込む」など、さまざまな造語を生みましたが‥‥。
あと、最近では明智光秀の子孫を名乗る人が出てきたり、その人が歴史を解説して汚名をはらすための本を出版したり。

では小早川秀秋は?

ちょっと、
秀秋の子孫です、なんて名乗りでにくいですよね?(笑)。

実際、子孫は存在しません。

秀秋は、味方を裏切った呵責に耐えきれず、関ヶ原のわずか2年後に発狂して死にました。
21歳です。

秀秋に続いて、松尾山を駆け下りて裏切りに呼応した4家のうち、2家は速攻でお家断絶。
勝った東軍からもよく思われませんでした。

すべてはタイミングでした。

小早川軍団ですが、両軍にとって、主力と言えました。
裏切りの約束は徳川と取り付けていたのですが、
家臣の反対と、西軍からオイシイ話がくるなどして、優柔不断に陥ってしまったのです。
フタを開けたら西軍が有利に戦っているのを見て、欲が出てきたのかもしれません。

大河ドラマ「春日局(つぼね)」で19歳の秀秋を演じたのは、若き日のまだ無名の香川照之さんでした。
この時の秀秋は、戦闘の前も、後からも、両方から責められてかわいそうではありました。

最初に小早川秀秋を知ったのは「おんな太閤記」で、若き日の大和田獏さんが演じていました。
その日だけのワンポイント・リリーフ。
戦場で草むらでひとり、汗だくになって考え込み、
最後に「わ〜〜っっ!」とデタラメに味方陣地に斬り込んで行った姿が印象的でした。
翌週に死んだ時はビックリです。

この彼の気まぐれな決断で、日本の歴史が動いたんですね。
コワイな、と思いました。