松本清張世界へようこそ。

松本清張の歴史短編に出てくる戦国武将は、
徳川家康の関係者がダントツに多いです。

豊臣秀吉関係者も、細川忠興、佐々成政、黒田官兵衛など出てきますが、その権力、関係性に
「泣かされた」という点では、家康関係者が多いように思います。

むろんイイ話ではありません(笑)。

誰でも多少持っている、うぬぼれ、怠慢、野心、
を、清張先生は、戦国武将を使って、彼らを
「ワナ」に嵌めたり、「失脚」させたり、
それが実際、存在した人物なだけに、リアリティがあるのです。

今日の話は、本多正信・正純です。
親子で家康に仕えています。
二人は、忠義もさることながら、何よりも奸智に長けた人物で、家康のブレーンでした。

去年「大河ドラマ・真田丸」にも家康側の家来として登場していました。
近藤正臣さんと伊東孝明さんが演じています。
伊東孝明さんは、伊東四朗さんの息子さんです。
近藤さんが父親・正信のほう。正純は、病気の秀吉の寝室に潜り込んで、しきりと遺言状を書く催促をしていました。メッチャ怪しい人でした(笑)。
「本多」という家来は何人かいて、紛らわしいのですが、本多忠勝という別の家来がいて、彼らと区別しなくてはなりません。
主人公・真田幸村の兄は、忠勝の方の嫁をもらって、半ば徳川の人間になりますが、その忠勝ではないほうの本多です。
わかりやすく言うと、本多正信はアタマがよく、戦や表面に出てきません。
完全に参謀なのです。
本多忠勝は戦だけの、脳味噌筋肉タイプで、正信とは外見が何もかも逆ですから、区別はつくかと思います。
本多正信は、おそらく見るからに腹黒そうな演技をしているはずです。歳は家康と同年代。
今から30年前、司馬遼太郎の「関ヶ原」がお正月だか年末に長時間ドラマ化された時、正信をやったのが三国蓮太郎さん。これが、私の本多正信のイメージ像にピッタリハマります。
対する息子は、正信ほど目立ちませんが、キリキリと、いかにもアタマのいい、ハッキリ言って冷たい感じの男。まあ、切れ者です。
二人とも、大変家康に重用されてますが、徳川内部では、当然嫌われていたはず。武功がないのに政権内で采配を振るっていたからです。
しかし、賢い父・正信は人生でも海千山千で、そんな自分を周りはどう思っているかは客観視できていました。
できてなかったのは、若い息子のほう。たぬきの要素はなく、ただ有能なだけでした。
正信は晩年、しきりと息子に教訓します。
「加増されても固辞せよ。5万石以上もらってはならぬ。」
家康存命中は飛ぶ鳥を落とす勢いだった本多正純。
天下人家康の相談役として、比類なき立場の正信の息子というだけでなく、実力もしっかりあって、二代将軍秀忠すら、彼には頭が上がらなかった。
徳川政権の幕閣の中心となるべき将来を誰もが疑わななかったはず。

と・こ・ろ・が

そうは問屋が下ろさない。
家康が死に、正信が死ぬと、運命の牙が彼に向かってきました。
あれだけ父親が忠告したのに、彼は堂々と将軍から宇都宮15万石の加増を受けてしまいます。

もらって当然と思ったのでしょうね。

彼はもっと秀忠やその周囲に気を使うべきでした。彼に憎しみの火の粉がかかっていることに気がつきませんでした。
二代将軍秀忠にとって、正純は、煙たい以外の何物でもなかったからです。
そうとは知らずに、宇都宮移封を受けてしまいます。
この後にとんでもない濡れ衣を着せられ、
ドッカーン!  と

失脚します。
世に言う「宇都宮釣り天井事件」です。
それはそれは、もう今までの倍返し以上の、仕打ちでしかありませんでした。彼ら親子は以前、大久保忠隣という家中のライバルを、持ち前の権謀を使って失脚させています。

身分と石高を剥ぎ取られたあとも、正純に将軍秀忠の憎しみが、執拗についてまわります。

それが、「戦国権謀」という短編です。

同情しにくい人ではありますが、ほんのわずかな油断で、こうも変わるものかというサンプルにはなるかと思います。(笑)
有能過ぎる人は気をつけましょう。