松本清張といえば、タイトルに黒が多いですよね。
黒いタイトルオンパレード。
昨日の話題の「黒革の手帳」も、黒タイトルの最たるもの。
「黒の様式」は、
アンソロジーのタイトル名です。
以前紹介した「犯罪広告」は「黒の様式」の3作品あるうちの一つの中編作品です。
私が最初に読んだ「黒」タイトルは、
これもアンソロジーですが、「黒い画集」。
黒の様式にせよ、黒い画集にせよ、アンソロジーではなく、本タイトルでもイケてますよね(笑)。
アンソロジーのタイトルにはもったいないくらい、いいものの一つに「絢爛たる流離」があります。この作品は独特の作品集で、全部の作品が一つの大きなテーマを持っています。
「影の車」とかいうものもありましたね。
意味わかんないですけど。
もう、タイトルの天才としかいいようがない!
黒い画集は、短編集で、いっちばん最初に読んだ作品。
そのいっちばん最初にある「遭難」こそ、松本清張最初の読書経験作品と言っていいです。
読んだのは、小学生高学年。
同級生から借りて読みました。
この同級生、仮にRさんとしますが、Rさんこそ、「名探偵登場」を、「点と線」を貸してくれ、ほかにも内外の探偵小説を読みまくっていた文学少女で、クラスで作文はいつも一番でした。
Rさんの影響は半端なかったです。
この後、清張のほかに、高木彬光、森村誠一も貸してもらいました。
森村誠一の江戸川乱歩賞作品「高層の死角」は、難しすぎて、読んだフリをして返してしまいました。
Rさんとは中学も一緒で、進学してからも、しばらく本を貸してくれる関係が続きました。
気になっていた事を聞きました。どれも文庫本なんですが、新品とは言い難いのです。
「いろいろ本を持っているけど、どこから調達してくるの?」
本もそうだけど、その選択も気になっていました。あまりにもズバリな物を選んでくるので。
「ウチのママの本だよ」
つまり、彼女の選択ではなく、母親の選択したものを彼女が読み、私に回ってくるという仕組み。
それも、無断で持ち出しているらしいとのこと。
これを知って以来、借りるのに抵抗を覚え、逆にこっちが何か紹介できないか、と考えるようになりました。
逆はあまり成功した記憶はないですけど、亀の歩みで、着々と、高木、森村といった作家も自分のマネーや図書館を使って読んでいきました。
高木は本格ですけど、森村は清張と同じ社会派。
作風も似ているけど、森村は漢字や熟語が難解しすぎ。やたら場面が変わりすぎ。
それで高層の死角は挫折しました。
高校生になって、カドカワ映画ブームが到来してからは、森村本は一気に読みやすくなりました。
「高層の死角」は、社会人になって読み直しましたが、あの時何で苦労したのかわからないほど、簡単に読めました。
社会派というより、密室の本格物といった感じ。
超高層ホテルでの密室殺人で、わりと面白かったです。
よく大ホテルが彼の作品に出てきますが、彼は作家になる前ホテルマンだったので、ニューオオタニクラスの。
ホテルが舞台の作品は、根城だけあって、面白い作品が多かったです。
ところで、この清張と森村、あまり仲良くなかったらしいです。ホテルの受賞パーティーで森村は清張に話しかけるも完全無視されたと。
何かにつけ、冷たかったらしいです。
私が勝手に思うに、清張さんは彼の青山学院大卒という経歴が癪に障ったのではないか、と想像をたくましくしたりして(笑)。
清張氏は、生活に追われっぱなしで青春時代は自分にはなかったと、再三エッセイに書いておられます。
清張氏「黒い画集」の「遭難」に話を戻しますと
これは大傑作です。私の中では。
いえ、普通に評価も高いと思います。
森村誠一は学生時代、山岳部に所属し、山を次から次へと制覇して過ごしたらしいです。「ホテル」と共に「登山」が、作品二大アイテムとなっています。登山で殺人事件を起こすのが得意なわけです。(笑)。
清張の「遭難」は、森村の作品でもおかしくないくらい、山の心理、特徴をとらえた秀逸な作品であります。
私は去年100キロウォークなるものに参加し、
一昼夜歩き通すという、空前絶後の経験をしましたが、この「遭難」という作品を身を持って体験しました。
身を持ってと言っても遭難はしてないですよ。(笑)
「遭難」に出てくる引用で、休憩時間が長いと、かえって疲れる。
これがキーワードでした。