ネットで出て来た情報は、これっきりです。
職 業 歌手
本 名 西 勝禧
生年月日 昭和24年 11月14日
出 身 地 福井県 名田庄村
経歴
昭和59年「愛のブルース」で演歌歌手としてデビュー。他のシングルに「越前太鼓」「札幌・東京」などがある。平成9年故郷・福井県で起きたタンカー重油流出事故の際には、福井市でチャリティーコンサートを開いた。
没年月日平成15年 7月23日 (2003年)
もう亡くなって、15年も経っているんですね。仁志陽介さんが、淋しくない様に、榛名湖のパンフレットに、貼っておきました。そして部屋に飾りました。まるで、一緒に榛名湖に、旅行に行ってる様です。
仁志陽介さんとは、なんの関係も思い出もありませんが、人の死と云うものは、本当にもの悲しいものでございます。でも、たまに思い出してあげることが、供養だと思っています。
54才の若さで、亡くなっているんですね?ご結婚は?子供さんは?いらっしゃったのでしょうか?野中さんとは、デュエットを出していましたが、女性の影を見せない人でした。
一度、「上野でイヴェントがあるから、来ませんか?」と誘われましたが、運悪くと言おうか?歌の仕事が入っていました。その時、私に仕事が入ってなかったら?もしかしたら?私達の歴史は、変わっていたのでしょうか?ふと、そんな事を考えてしまいました。
年は、丁度、ひとまわりくらい違います。今調べて初めて、年齢を知りましたが、そんなに、年が離れている様には、見えませんでした。あの世とこの世で、住む世界は違いますが、いつまでも、お友達でいてあげよう。と、思います。無表情な私に対して、とっても、にこやかな仁志さんです。歌手として、もっともっと活躍し、もっともっと飛躍したかったに、違いありません。彼の無念の気持ちが、痛い程、分かります。だから、その分、生きている私達が、精一杯、生きなくてはならないのです。
人と争っている時間はありません。そんなエネルギーがあったら、世の為、人の為、そして自分の為、一生は、一度切り。楽しく有意義な時間を過ごさなくては いけないのです。
改めてご冥福をお祈り致します。
榛名湖のパンフレットの中身は、こんな風になっています。私が作詞した「榛名恋唄」は、空想の世界で、東京は、六本木にある「脚本家連盟」で開講していた「作詞家養成講座」に通っていた頃(東日本大震災より少し前)に、宿題で書いて行った作品です。