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最近AIを使って自分の知識の整理をしていますが、使っているうちに「AIはこちらの質問のニュアンスに合わせて共感しているフリをするだけの詐欺師」ということが分かって来ました。

 

たとえば、私が批判的なトーンで新興宗教について聞けば「排他的な組織の問題点」を指摘してくれますし、私が創価学会員のフリをして質問すると、池田名誉会長の素晴らしい点ばかりを羅列して組織を賛美する・・・というわけです。

 

つまり、論理的な一貫性は存在せず、ただ「質問者のご機嫌をうかがっているだけのお調子者」なんですね。

 

このような不誠実な相手はメンター(精神的指導者)にはなれません。

 

その情報の信ぴょう性についても疑問符が付く場合が多く、結局は「便所のラクガキ」とも称されるネット上から真偽不明の情報を引っ張り出してくるだけです。せいぜいが「賛同者が多い情報を真実として分類する」ぐらいの配慮しかないのです。

 

基本的に相手の意見に合わせて共感的に喋るだけなので、自分の思い込みが強化される結果になりやすく、AIの進化に伴って人間社会の分断はますます進むに違いありません。「私の意見をAIが認めた」と錯覚するからですね。

 

現在、AIの言葉を「ほぼ真実として受け止める人」の割合は6割とされています。ある程度疑いながら使う人は3割、まったく信じない人は僅か1割に過ぎません。

 

このままだと世界は間違いなく「間違った方向に進む」と思います。

 

今後は私のブログでもAIの危険性については警告して行こうと思いますが、それでもこの「AIに踊らされる人の増加」は止められないでしょうね。

 

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私は6歳の頃から座禅をさせられているのですが(近しい親戚に住職がいるため)、子どもの頃はそれが嫌で嫌で堪りませんでした。

 

でもここ最近、今までに読んだ本の読み返しや整理をしているのですが「ブッダの教えがもっとも論理的だ」ということに気が付いたのです。

 

少なくとも「聖書の物語を信じる必要があるキリスト教」よりはずっと科学的で、現代にも応用できる見事な哲学なのです。

 

そして、そのブッダの教えを瞑想方面でもっとも忠実に再現しているのが「禅」で、「なんだ、私は最初から正解に近いところにいたんだな」とようやく気が付いたのです。

 

幸せの青い鳥を探して旅に出て帰ってきたら、青い鳥が自宅の庭にいた・・・みたいな話ですね(笑)。

 

今さらって気もしますが、原始仏教の根本経典「ダンマパダ」や「スッタニパータ」を真面目に読み込む日々となっています。

 

その影響で、近頃の記事には仏教思想っぽい内容が増えていますが、できるだけ分かりやすく噛み砕いて説明するようにしていますので、ご興味のある方はぜひお読みください。

 

 

 

noteの有料記事を更新しました。今週2度目ですね。

 

 

 

自分でも驚くほどのハイペースで次々と記事を書いていますが、文章の質は落ちていません、いや、むしろ「キレッキレ」ですよ(笑)。

 

農業関係の仕事が一段落し、今は過去30年に渡って読んで来た本の「読み直し作業」をしているんですが、昔は分からなかったことが今は理解できるようになったので、楽しくて楽しくてつい「みんなにもこの感動を伝えたい」と思って書いてしまうんですね~。

 

いろいろ読んでいるうちに分かったんですが、どの宗教にも、どの哲学にも、どのスピリチュアル本にも「致命的なツッコミどころ」は必ずあります。特に「断定口調」「過剰な自己責任論の押し付け」「複合的要因を考慮しない引き寄せの法則」が含まれている本は論理的な矛盾が多く、とても人生を賭けられるようなシロモノではないことが分かります。

 

ただ、その中でも論理的に崩れない「完璧に近い理論」が見つかりました。それは仏教の「中道思想」です。

 

単純に説明すると「運命も自由意思も両方存在する。いや、その対立軸すら幻想で、本当はこの世に何もない」みたいな理論です。何を言っているか分からないと思いますが(笑)、一度理解できると「スゲェ、完璧だ。ツッコミどころがない」ことに感動しますよ。

 

この「訳の分からない理屈」を、できるだけ分かるように翻訳するのが私の仕事なので、ご興味のある方はぜひお読みくださいね(中道の話は10回ぐらいの連載になると思いますが)。

 

 

 

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哲学的な内容を書くとアクセスが減る・・・と言うのは、前回もお話しした悩みですが、もうそれは気にせず、おのれの心のままに突っ走ることにしました。

 

読んで欲しくて内容を妥協すれば「自分に嘘をつくこと」になりますし、その状態で活動を続けてもあまり意味はありません。

 

AIに相談したら「大衆が求めるのは即効性のある軽い内容であり、真理は軽さには勝てない」のだそうです(笑)。まぁそうだろうね。

 

それだったらやるだけやって「結果は天にゆだねる」という覚悟で行きます。幸いなことに私にはもう一つの職業(農業)がありますので、執筆活動が破綻しても飢え死にすることはありません。

 

安全機構があるからこそ、こちらの方面は「純粋に書きたいことだけを書く」ことを貫き通したいのです。

 

内容的には以前よりむしろ「質が上がっている」と自負していますが、反比例するようにアクセス数・売り上げは下がっています。

 

でも、それでいい。

 

人数は少なくても、誰かの心に深く刺さるのであれば、それはそれで成功でしょう。

 

私にできるのは「全身全霊で文章を書く」ことであって、結果はこちらの管轄外の出来事なのです。

 

決してヤケッパチになっているわけではありませんので、支えてくださる方々にはこれからも全力で報いて行きたいと思います。

 

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noteでの活動を3年続けていますが、売り上げの傾向としては「下世話な記事ほどよく売れる」ということです。

 

下世話というと言葉が悪いですが、たとえば「どうすれば運命の人と出会えるのか?」みたいな実用記事や、「不倫してしまった時の対処法」のようなハウツーものはアクセス数が伸びやすい傾向があります。

 

「文春砲」の話を書いた時も、かなり売り上げが伸びたんですよ(笑)。

 

もちろん、そういう記事も大事だと思いますが、私はどちらかというと哲学的な内容の文章を好むので、どうしても「自分が書きたいもの」と「世間の需要」のあいだでギャップが生じてしまうのです。

 

哲学論を展開すると「売れない」し、世俗的な成功論を書くと「自分がすり減る」のです。

 

この両方のバランスを取ることが現在の目標ですが、今回は敢えて、目いっぱい「哲学的な方向」に振り切ってみました(笑)。

 

売れるかどうかよりも、とにかく書きたかったので、今回はアクセス数のチェックはしません。どのような結果になっても「本望」ですので、興味のある方だけ読んでくださいね。

 

たとえ数人であったとしても、私の「意図」を感じてくれる人がいたらそれで満足です。