財務省のおじ様たちが、「セクハラ研修」を受講している報道をみました。
講師は女性弁護士。
ふんわりしたスカートとストレートロングのヘアで、外見的にはかわいい女性成分が含まれていましたが、話の内容は「上から目線」「財務省全体の考え方がダメなのよ」的な厳しいもの。
もちろん、おじ様方はむすーっと しています。
きっと心の中はこう。
「俺たちの何が間違ってるというんだ。女ごときが何言ってるんだ!」
世間へのイメージ操作用に開催された研修だとは思いますが、見ててつらい・・・。
男性が当事者として生きる世界の内容に関して、女性が上から目線で、批判的かつ強い口調でお話ししても、男性の心はよい方に動きません。余計かたくなに反対方向に向いてしまいます。
男性の仕事の仕方、専門分野など・・・そういったテーマのお話をするときに、女性は少し「演じる」ことが必要です。
口調、テーマからの距離感、発言回数・・・・存在感さえもやわらかく、「はんなり女子」になりきることがお勧めです。
なんで女性ばっかり控え目にする必要があるの?って気分になりますか?
逆に、男性が「脇役」の世界(お料理しない男性だったら、お料理の話題とか)では、女性は主導的に、堂々とお話すると男性の心を動かすことができます。
そういう時は、少し「お母さん」のような強さが好まれるのです。
こんなに微妙な男女の関係・・・・相手の気持ちが体感できないだけに、頭で理解しておくことがとってもとっても大切です。
最近、毎日のようにセクハラだとかわいせつ罪だとか・・・そいういった報道が多いので、改めて性のことを考えてしまいました。
男性が女性を性の対象として見るときに、対象によって、脳の働く部分が2種類に分かれるそうです。
ひとつは、「愛情」を感じる部分
ひとつは、「道具」を認識する部分
男性が胸に愛情があふれている状況で触れられた時と、道具として触れられた時と、女性の感じ方は違うでしょうか?
・女性が愛情を感じている時
→男性が愛情を感じていれば、触れられるのは嬉であり快
→道具として触れられれば深く自尊心が傷つく(恨)
・女性が愛情を感じていない
→男性が愛情を感じていると恐
→道具としてなら自尊心が傷つく(悲哀)
女性がどんな気持ちであったとしても「道具として触れられたら傷つく」ということです。
それは何気ない友達同士であっても、恋人や夫婦であっても例外はありません。
草食系男子が増えたといいますが、性のエネルギーの全体量は昔と今で変わりないと思います。
ただ、そのエネルギーが道具への発散されるのか、愛情対象にたいして使われているかどうかの違いがあるだけだと思います。
性は劇薬。
うまく使うことができれば、素晴らしい至福に導いてくれます。
取り扱いを間違えると、男女ともに身も心も滅ぼします。
どうぞ愛情を育むレッスンを重ねてください。
そして、性を最高の道具として豊かな人生を楽しんでください!
私も精進しますよ。