皆さん、ミヒャエル・エンデ作の「モモ」という本をご存知ですか?
私は小さいころから気になってはいたけれど、なぜかひも解くことがありませんでした。
それが、NHKの「グレーテルのかまど」で「モモの朝食」という回を見ていると
「金色の朝食」、そう、ホットチョコレートと金色のバターパンが・・・!
「おいしそうなものがたくさん出てくるのかなー」なんて下心満々になり、
図書館でモモ愛蔵版を借りて読み始めました。
初めの数十ページを読んだところでノックアウト(古い!)されましたよ。
モモの存在そのものが、私がコーチとして大切にしている「あり方」だったのです。
モモがいるところでお話していると、みんなが本当の気持ちに気づいて、クリエイティブになっていく。
「時間泥棒」という目に見えない脅威をピュアなハートで鎮めていく。
そして、周りのみんなが再び「内なる時間」を大切にし、幸せに満たされていく。
「内なる時間」というのは、その人の生命そのものです。
今日日、「主観的である」ということは、ある意味甘い、なってない!って批判されることが多いですが、
客観と共に、主観を併せ持つことが自然なバランスなのです。
異常に客観的にあることが求められているこの社会では、意識的に「主観」を大事にすることが必要ですね。
なんだかお堅い話になってしまいましたが、「相手がそう思う、感じること」は貴重なものだ!と改めて想いを深めたのでした。
例えば、「私が歩くと男性がみんな熱い視線を投げかけるのよ!」って言われてた時、実際自分が現場を見て「違うじゃん」ととったとしても、彼女の中では、「男性に熱い視線を投げかけられている」のが事実なんですよね。いわば、「内なる時間」であり、「生命」。
そういう「主観」を貴重なものとして耳を傾けることが、コーチ・・・だけでなく生きている私達が忘れてはいけないことなのかなと思います。
自分との対話の中でも、自分の主観に優先権を与えてみてください!
作者のエンデに興味が湧いてしまい、著作を読み漁っています。
すると、まさに私が求めていることがあふれていました。
マインドフルネスな状態を意識的に作っていくことがこの時代には必要となっていく。
しかし、瞑想や座禅が権威的なものになりやすい。気をつけねばならない。
そうそう、「正解」を与えてもらうことに、人は必死になりますが、
実は与えられた正解は、人になにもたらしません。
自分でコツコツと見つけたものしか、その人の血肉にはならないのです。
「これが正解だよ。こういった手法でこの期間やれば成功だよ。」って教えてくれるような、権威のある人について行っても、もしかしたら時間とお金と労力の無駄なのかもしれません。まあ、しばらく気休めにはなりますが。
「自分で見つける本物のマインドフル」・・・ご自身一人で見つけるのもよし、睡蓮荘とご一緒に見つけてもよし。
睡蓮荘には権威はまったくありません・・・ただただ、あなたの「内なる時間」を大切にするだけです。