人を育てるということ。 | 富山このはな酵素風呂 麻蓬(まほう)

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身辺雑記。

近所の子、Kちゃんが目を輝かせて、カナヘビを捕まえた、という。壊れた昆虫ケースに入ったカナヘビ。触りたい、というのでうちのバケツに移して。少しずつ命の扱い方を学んでくれている。学校で花に水やりをしている、とも打ち明けてくれた。常に庭仕事をしている私の背中から学んでくれた。


13日、むろやんが車を出せないので一人で電車で富山駅前の心療内科と八尾接骨院へ移動してみる。思いのほか1日仕事だった。10分、連続して歩けない。電車が一時間に一本だったり。途中、駅のベンチに仰向けになって休んだりした。体は思うように動かない。内側からぞわぞわ、ひきつれる。帰りはかなり体が厳しく、むろやんに最寄り駅まで車で迎えにきてもらう。

お互いのパートナーから一時避難、として西宮の母と金沢で落ち合い一泊を試みた。


前夜、母からいきなり耳に噛みつくような訳のわからない電話があり、動悸が続いた。いやな予感。これは楽しいイベントではなく、母との正念場になるかも。


当日、金沢駅まで高速バスで着いたものの、じっと大人しく座っていたのに待ち疲れて歩けない。一時間に一度は仰向けに横たわらないと体がもたないのだ。こんなに、私は悪かったのか、と改めて思い知る。

ごくごくスローにしか動けない。杖をついたお年寄りでさえも私をどんどん追い抜かしていく。ここは「生きている」人たちの世界だ。現世から私はかけ離れている。

数ヶ月ぶりに再会した母とは、会った時から会話がまるで通じなかった。エネルギー操作の認識や扱い方がまるで違う者になった。最後まで魂が通うことはなかった。


寝入ってしまった母をおいて、暗くなる前に、とホテルの外へ出た。歩道に一人の初老の男性がいて、歩くのがぎこちなかったのが目の前で急にくずおれた。地面についてしまう前に「適切な」手の出し方で、その方を助けることができた。





ものの数分に満たない、その男性と言葉も交わさなかったけれど、心の奥底、魂でとくん、と繋がりあえたのがお互いにわかった。どん底にいる者同士がわかりあえる。歩道の向こう側に女性がいて、他人かと思ったのだが連れ合いらしい。うちと逆パターンだ。

よろよろの自分にも人を助けることができたことがこの上なく嬉しかった。受ける側でだけいるのは苦しい。脳梗塞にならないように、とのメッセージもある。この方も、どこかで金沢の今宵を耐えておられる。

天使だと助けたくても人間に手出しはできないけれど、今は肉体を持っているから手を差しのべることができる。

自然と心からの感謝祈りが出る。使い終わった補聴器の電池にもありがとうございます、と手を合わせる。いただく食べ物にも、命をいただきます、どうかこの身になりますようにと祈る。

この夜母と同じ部屋では神経がとても持たない、とせっかくコーナーツインの部屋を取っていたが自分用にシングルを取った。

昼過ぎから夕方、深夜まで、ひっきりなしに来るパニック発作の波をひとり12時間耐えた。神経が立ちすぎて、この間1分たりとも横になることができなかった。ヒーターや毛布を借り、バスタブに湯を貯めての足湯も何度も入ったり。その他できることはすべて講じた。

エネルギーや空間について、前よりももっと鋭敏になった。昔の日本人が、鏡に布をかけた意味もわかった。指先を人にうかつに向けることの本当の危険さも。向けられるとそのエネルギーが無造作に人に突き刺さる。タッチの仕方。声の発し方。丁重さ。

深夜3時にとうとうホテル側に相談して、結果ありがたいことにもう少し空間のあるツインを無償で提供してもらえることができた。別の階へ引っ越しに3往復。朝方4時にやっと眠りについた。

朝、まだ目の前の娘の状態を理解できない母とはまともな会話をしないまま、金沢駅でやむを得ず別れた。


高速バスで富山駅に向かい、そこから高山線で八尾接骨院へ。クオンタム治療でやっと人心地を取り戻す。八尾接骨院までむろやんに迎えに来てもらった。どこかへ湯治療養しに行きたいと思っていたが、富山の家が、それでも今は一番の療養所であることが身にしみてわかった。



体、楽。


玄関先には私の留守を知らぬKちゃんが1日置いたであろう、くたっとなったあじさいの花にリラックマ。


帰ってきた気配を察知して飛んできたKちゃん。お花ありがとう!そういえばカナヘビ、どうなった?逃がした?ううん。元気?ごはん食べてるかな?

Kちゃん口ごもる。天に聞く。

そうだ、うちに使っていない水槽があるけど、使う?

土を敷かせて、ふたが欲しいというので古いすのこをノコギリでカットしてトンカチをふるう。カナヘビのソファーなるものもリクエストにこたえてさくっと作った。体調最悪で、疲れきってて、その上3時間しか寝ていない身なのに。ノコギリや金槌を使う心地よさ。釘を最後まですとんっと打ちおさめる気持ちよさ。カナヘビの名前つけなきゃ、というのでカナ吉はどうかとこちらからは提案した。

カナヘビの身が自分のようで辛い。エンパス体質もあるのだろうが、体の内部が引きつれを起こしているのが自分の身と重なって痛いほど伝わる。パニック、脱水、閉所、暑さ寒さ、飢え。

できる限りのことはしたが、今はKちゃんの所有物だ。勝手に逃がすことはできない。

相手のペースで伝えなくてはならない。伝わる言葉で。

それは大変に難しいこと。


前に人を育てるのが大変うまい方がおられて、その方は決して相手に助言することをしなかった。こちらからはなにもしない。自分で学ぶしかないことをよく知る方だった。

それも学びを本人まかせにただ放っておくのではなく、本人以上に各人の内面の段階を思慮深く見守ってくださっていた。それがあったからこそ、私もここまで成長できた。言わないでいてくださることはどんなにありがたいことか。

人にものを教えることは、本来人にはできない。それをわきまえるのが本当の意味の謙虚さだと思う。導く、待つことのみが人には許されている。伝えることすら、難しいのです。

各個人の魂の学びのタイミングを待つだけでなくて、もう1つやることがあった。今それを私は学ぶ。

それにしても、踊りや生き方などは本人のことだから時間は無限として、副次的にその支配下にある別の生命をも預かるということは難しい。

でも、誰しも自分の肉体を「飼っている」、とも言えるのだ。上は、もどかしい思いでいる。手の出しようがないのだから。




今朝は遅くまでぐっすりと眠った。かの世から直接エネルギーチャージも受けられた。ええと、書くだに怪しげですが。

三次元的には今日のお昼、一番好きなラーメン屋さん「麺飯屋 醤(じゃん)」へ行き、初めて肉炒飯を頼みました。ここはいつもエネルギーが落ちた時助けてもらえるところ。大将がイケメンで、いつもすっと口元を結んで仕事されています。店のメニューにもそれは貫かれている。醤油ラーメンが売りですが、何を頼んでも美味しい。外食では珍しく、食べ物からエネルギーをいただけるところです。あまり情報誌に載せないところですが、昔より大繁盛していました。

声も足取りもしっかりしてきて、今週には車の運転ができそうです。1ヶ月近くご無沙汰の本屋さんも、明日は行けそう。もう富山、いつの間にか梅雨入りしていた。

夕食後、家のそばを流れる常願寺川の土手まで歩いてみた。

背中に立山連峰を背負って立つと眼下に富山市街、そして富山湾の向こうに能登半島が見える。

川表につばめが低く宙返りしていて、空には朧の細い月。

当然のこととして人に下されること。

「当たり前」という言葉に祝福を覚える。