調べてみたら富山のこの家から車で2時間半もかからない。意外に近い。
イラストマップを見ているとその奥に白山神社があるのを知りました。平泉寺白山神社。よし、ここも行く。去年は白山神社をかなり辿れたので、金沢の白山比咩神社と岐阜の長滝白山神社、そして福井のこの神社に行けたら完璧だ。三馬場。白山で修行するにあたっての、3つの足がかり。
行く前日、4/29。満月の前の晩ではあるけれど、不思議に頭が冴えざえとしてしまって眠れませんでした。ワクワクして眠れないのかと思ったら、違う。むろやんも同じく。今回の満月のエネルギー、強かった。
ほとんど寝てない状態で、富山から福井の平泉寺白山神社、そして永平寺へ。満月のエネルギー受けつつ。
神社とお寺の違いがくっきり。
こしあんと粒あん、あなたはどちらがお好きでしょうか。
神様はあまり人の手が入っていないものを喜ばれるそうで、だから粒あんを。仏様は人の手がかかったものを喜ばれるそうで、だからこしあんをお供えするのだと聞いたことがあります。
神社、岐阜の長滝白山神社と似た空間。やはり神社の方が今の私には安らぎます。しっくりくる。
お寺。背の高いお坊さんが黒の僧衣を翻しているのがかっこいい。
滑りそうなぐらい拭きあげられた廊下や階段。お手洗いは床のタイルに頬ずりしてもいいくらいに清々しい。
反面、参拝客のマナーの悪さが際立つ。気になる。修行僧が日々、今も厳しい空間をつくり上げているのに、その空間が感知できない?
試しに僧堂で仏様や修行僧にお尻向けたり脚を投げ出している男性の斜め後ろできちんと正座して手を合わせてみると、居心地悪さを感じたのか、もぞもぞし始めて退散しました(←単なる嫌がらせレベルに)。
もしかしたら、人の手が入るほどに人同士が気になり始めるのかもしれません。横意識。
神社では素朴な神社ほど、そういう気にはならない。
永平寺での修行では栄養不足から脚気になって、頻尿に苦しむ修行僧が多いという。
私も高校2年、頻尿で苦しんで、それがきっかけで精神科に行くようになったのですが、もしかしたら閉所恐怖症の前に、単に栄養不足による脚気だったのかもしれない。小学生の時は急に塩水が飲みたくなって自分で作って飲んだり、梅干しが一番好きで毎日5、6個食べたりしていましたが、脚気を補うための本能だったのかも。
恐怖時。
擦りきれて読めなくなっているけど、なんと書かれているのか。
追記:後日、友人二人からご教示いただきました。感謝。
確か、道元禅師の「学道用心集」の中のお言葉ではなかっただろうか。「時光(じこう)の大(はなはだ)速(すみやか)なることを恐怖(くふ)す 所以(ゆえ)に行道(ぎょうどう)は頭燃(づねん)を救(すくう)」
心に響くこと書いてあります。
髪の毛、やっとみられるようになってきました。ショートが、再び新しい自分の髪型として入ってきました。
自傷行為で短くなった髪の毛。爪と同じく、髪は単なる老廃物と思っていたのに。ない、ことが思った以上に精神を苦しめること。ウィッグの存在価値。シャンプーやヘアケアのこと。頭の形やつむじの位置。前髪を触ると変わった感じがすること。びりびりしますね。
人生で、やっと初めて自分の髪の毛に向き合いました。向き合うことが、お陰様でできた。5ヶ月、かかった。格闘というか、なぜ。髪の毛ごときで、と思うのに。髪がズタズタに短くなっているとこれほどまでに死にたくなるものだとは思いもしなかった。実際に癌の放射線治療で毛髪を失って、自殺される方もおられるらしい。髪の毛というのは、それほどのもの。
いくら頭で髪=神だ、アンテナだ、と知ってはいても、やはり体の実感に勝るものはない。
人にとっての髪の大切さ。たったこれだけのことを学ぶために、これだけの苦しい時間を費やしました。地球学校、身体コース、髪短期集中講座、みたいな。
髪を切るきっかけになった人と、こと。自分で単にヘアスタイルを変えてみようかな、では得られないものだった。得難い。有難い。
修行僧の頭を見ていて懐かしく今までの過程を思い出しました。
捨てるということ、その恐怖。そしてその先の気持ちよさ、ということを。
正確には切ることの恐怖と、切った後の長い恐怖の期間。そして心の中にわずかに光が射すまで。
坂爪圭吾 / BillyGyallow🏳️🌈@KeigoSakatsume
社会不適合者などと言うが、自殺者が3万人いる社会に適合をしたら「おかしくならないほうがおかしい」と思う。必要なことは、適合よりも開墾だ。自分に適した風土を開墾することが、やがて、自分みたいな誰かの力にもなるのだと思う。今世は諦めてください。 - いばや通信 https://t.co/FyVFgEcazt
2018年05月02日 16:29
明日、五月の嵐になります。昨日のうちに庭の柔(やわ)いつるを結わえたりと準備して。
心のうちで「おもしろい。」とちらりと。来るなら来い、と。初めて余裕が出てきたみたい。昨今の状況から。
思いきってかけた電話に出た受付の女性が、親切な応対をしてくださったこと。去年蒔いた山ブドウの種から、たくさん芽が出ていること、ブドウの実が去年3房できたのが、今年はもっとたくさん房をつけていること。
不眠が続いて、耳鳴りもすごくて。疲れのせいなのか、口や腕も、身体中の筋肉がこわばって動きにくくなったけど、結果が出ている、というのはとても嬉しいこと、なのです。