おわらデビュー。伝統の厚みの裏打ち。 | 富山このはな酵素風呂 麻蓬(まほう)

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身辺雑記。

葉桜になり、草木の芽吹きが一気に加速されました。







先の日曜日はおわら道場の講習会3回目。

大分流れに乗って動けるようになりました。

結構、ダイナミック。全身をまんべんなく使う。そして、思うより動きが細やか。

3人がかりでチェックが入り、休み時間なし。

終了後、定期総会。感心したのが、きちんと運営されていること。内部システムがまとも。

もちろん、あまり聞き取れないですが、一人一人に簡易製本された資料が配られました。会計監査などあり、収入支出も明確です。トップだけの情報でなく、ちゃんと会員に会計を開示する。理事や師範や準師範の方の紹介。

質疑応答の機会が何回ももうけられ、会員からの提案を、いろんな角度から皆さんが意見をおっしゃる。

遠方から来られた方の意見も尊重する。挙手しない、呟きの疑問も傍らの人が掬い上げて発言、きちんと前向きにまとまったり。

代表の方の、「講習最後の輪踊りを大事にしている。ベテランの人も初心者もみんな楽しく踊れる場を大切にしたい」旨の意見。

他の方からの、「見ることも大事。見て気づかないようではだめだ」という意見。

結成されて30年でも、細かな微調整をしている。一人の意見ではなく、みんなで決めている。

皆さん、オトナなのです。50~70代が中心かな。会社でもそれなりの地位がある方がやっているような。

地方(三味線)の方たちも、もう風格というか、オーラがある。そういう人たちの中で。


そして昨日が私のおわらデビューでした。



富山県の新潟より、朝日町の舟川べりでのイベントです。

20年前、富山で舞踏合宿の折に親指の骨にひび入らせて、行った病院がここの近く。まさか20年後にここでおわらの男踊りするとは夢にも思わない。




女踊り、地方など合わせて40名くらいの規模。うち、男踊りは7名。私は舞台踊りはまだできないので一人外れ。流しや輪踊り要員です。

お天気が危ぶまれましたが、私も晴れ女(男)になったかな、無事2回公演できました。入ってすぐでこんな機会に恵まれて。

桜はほぼ散ってしまっていましたが、残りの花びらが時折はら、はら、と。


舞台踊り。

道の真ん中から見ると多分、とてもよい。白い砂利道がずっと一直線に奥まで続く。これに桜並木が満開だったなら、なおよし。最高の舞台です。

バレエ「白鳥の湖」のように、女性の集団と、男性の踊りと。クライマックスに王子様とお姫様のデュエットシーンのようなのがある。

お姫様が蛍を捕まえようとするけどうまく捕まえられないところに、王子様がふっと捕まえてお姫様の前に見せる、ようなのとか、

二人で蛍かな、を指差して、つーっと空の星までを指差す、みたいなのが。一つの儚い命が宙(そら)に消えて、それは永遠に続くよ、みたいな。2つの命、共に星のように、のようにも読み取れる。

25年前だかの昔、元藤あき子(舞踏の創始者、土方巽の奥さん)が八尾を訪れ、おわらを一緒に踊って、掌をこう、返すのはあの世とこの世、ですね、と言っていました。行きつ戻りつ。

笠を深くかぶっての踊りは、亡者の踊りのようにも見える、とも。


おわら道場は八尾の街を流すことはできないけど、ここでなら流しもできます。



朝日町のイベントサポーターの高校生たちとの挨拶も嬉しい。今の私には、特に。何気ないことでも。

輪踊りの時、楽しそうに誘いあって踊りに加わる一般のおばちゃんたち。八尾から離れたここでは、おわらを観るのは初めて、という方多い。

踊り終わった後、おばちゃん二人に声をかけられました。踊りの所作の真似をしながら、「『稲刈り』、○○ねぇ(かっこよかった、ようなこと?)」

昔々、普通に暮らしとして稲刈りをしていた農民の所作が、おわらの踊りの美しい所作になった。数百年を超えて、私の踊りを通して、人にその時の心と美が伝わる。慎ましい暮らしの姿勢が伝わる。

そのおばちゃんに「あ、美しい」と思ってくださった瞬間があって、意識されずとも、それは持ち帰られて美しさの波動となって空間に拡散されてゆく。

「あれ、女の方だわ!」編み笠をひょいと持ち上げた私の顔を見て、おばちゃん驚かれました。驚かれるのもちょっと愉快。


今回、特に感じたのは、女性性と、文化伝統の厚みです。

男性用の法被がまるで体に合わず、お直ししたり、帯の締める位置などかなり苦心した。

自分だけ一人着る物ではないから、みんなと合わせる衣装だから、ごまかしはできない。

ああ、心が男でも、体型は女なのか、と。男の中にいると浮く。かといって、女の中にいても、浮く。

男の体にはなりたいけど、手術や薬を使ってまでは転換しようとは思わない。肝臓や腎臓が弱いので、それで苦しみたくないので。

そんな中で、本屋さんで見つけた本、これほっとしました。あるあるだらけで笑いました。難しいよね。真ん中へんの立ち位置。


数日前にも、職場の女性同僚が誘ってくださって、ランチしました。

最近は男、男の中にいたので、女性だけ3人で食事したり、甘いものを食べたり、それだけで心が癒されることに驚いた。

他の方のドレッシーな時計や、仕草や、伏せたまつげなどが染み入ってくる。柔らかい。細やか。安心感。

私が男性化していて、女性性に反応しているのか、よくわからないけれども。

女性性、がとても分かりやすい形で身に入ってきた。男性が女性といたくなる気持ちが分かる。

そして、文化伝統の厚み。

踊り手たちが衣装や動きをチェックする中で、調弦に時間をかける三味線。胡弓を弾かれる方の片足つま先立てる、セクシーさ。

角帯でない結びにくい帯を、小さめの貝ノ口に締め直してくださったり、編み笠のうまくかぶる裏技を皆さんで伝授してくださったり。

帯の模様の意味、皆さんの擦りきれた編み笠の紐。

聴覚ではない、視覚で情報を得て動く私には、深く編み笠をかぶると周りが見えなくて、気持ち的に苦しい。うっとおしくてたまらない。

それでも、舞台踊りを袖から拝見していると、小さい時に祖母に連れられていった謡の稽古の体感が甦ってきました。

ああ、同じものに体を置いているな、と。

そして、皆さん、「美」を追及している。単独ではない、「美」。声の美しさ、豊かさ、胡弓や三味線の音色、他のメンバーと調和する動き。そしてそれをその場にいる人たちとシェアしようとする心。

美しさは、強い。

そしてこのおわらには、文化伝統、女性性、男性性に裏打ちされた厚みがある。地域性がある。一般の人との交わりがある。


今回、会場へ向かう乗り合わせの車の中から見た立山と、雲の渦。



こんなきれいな渦を創る存在が、私をも、創った。
間違いのあろうはずがない。

人間の複雑さ、醜さも込みで。


鬱状態については、精神科で少し薬を増量してくださいました。そのおかげで発狂しないで仕事を淡々とやれる。一日中眠いけど、仕方ない。眠いけど緊張が取れないままの苦しさがずっと。カウンセリングについてお医者さんに聞いてみましたが、意味ない、とのこと。

あれから、2ヶ月経ったか。

なんだか、とても残酷なことが起こったんだなぁ、とようやっとこの頃になってぼんやりと感じる。時が癒してくれるのを待つしか。

でも、その奥には大いなる存在の愛があることを信じて。

今はにわかに信じがたいことだけれど、私はとても、護られた。うまくいっている、のかもしれない。

すべてに、良き、哉。


Wie aus der Ferne

楽譜上の指示表現

「《遠くからやってくるように》
遥か遠くから聞こえる音ほど、逆に〈私〉の内深くから〈私〉に触れてくるという。」


それが未だ見ず名前も知らない人の心を、わずかに温め幸せな気分をもたらすなら……この世に存在する確かな意味と資格を持つ

十五代 樂吉左衛門

(いずれも朝日新聞 「折々のことば」より)


昨日発売された、これもおすすめです。

時は室町、世阿弥と足利義満。
「花がある」
美しさを追及する、二人の絆。