死産が羨ましいなんて言ったら怒られてしまうかもしれないけれど…

「早い段階で流産できてよかったみたいね」と旦那に言われて大喧嘩しました。

元々旦那は流産に関してもそこまで悲しんでいる様子はなくまた作れば良いなどと平気でいって以前にも喧嘩しましたが。

あれほど大喧嘩したのにこいつは何も変わってないな。
辛い手術で心も体も傷ついてナーバスになってる嫁に言うことかと呆れかえりました。

流産した人にだって心の痛みはあります。

死産は経験ないので想像するしかできませんが。
お腹にいる時間が長くて胎動も感じるし陣痛で出産した上で冷たくなった赤ちゃんの姿を目の当たりにし火葬もするの死産
死産の方が精神的な痛みは大きいですよね。

胎嚢しか見えない状態での麻酔した上での手術で術後の痛みも生理痛程度で出産とは比べものにならないくらい体の回復も早かったです。

早い段階だったのが不幸中の幸いだったのは分かっています。

だけど心の回復は一か月たってもまだまだだし、死産の方が羨ましいと思う時もあるんです。

エコーに一度も胎児が映らなかったこと。
大切にアルバムにしまったエコーは胎嚢の空洞があるだけで。

手術を先延ばしにした悪あがきをしたのは、受け入れたくないという逃避もありましたが、心拍が取れずに手術になってもせめて一度でいいから赤ちゃんの姿を見たかったという思いもあります。

ただ、やっぱり手術を調べたときに胎児の体がバラバラにされることを知った時は胎嚢だけでよかったとも思ったり…。
色んな思いが交差しているけれど「流産で良かった」なんて言葉はあまりにも刺さり過ぎました。

死産になりたいわけではないけれど、羨ましいと思う一面もあるんです。
数ヶ月でも胎動感じたり、エコーの写真という形残る思い出があることも羨ましいです。

火葬をして死産届けを出せることも羨ましいです。
法的に人として認められている
これが本当に羨ましいです。

そして何よりも、一番悔しくて悔しくて仕方ないのは…


写真が欲しい
一度でいいから抱きたい
遺骨が欲しい


欲しいんです。欲しくて欲しくて。
胎嚢は病理検査に出されて戻ってきません。
納得の上で手術はしました。
手術後は腹痛も緩和されたし、色々なリスクを考えたら手術してよかったと思うしあの時手術を熱心に勧めてくださった先生にとても感謝しています。

でも、どうしょうもないことだけど仏陀には骨も遺影もないんです。

これから先、無事出産出来たとしても。
この子はもう戻ってこない。
この子がいた証は何もないんです。

死産届けも出せません。
まだ人間じゃないからと法的に否定されているんです。
こんな私の気持ちと、「流産で良かったね」と軽く言えてしまう旦那とは全くお話になりません。
もう疲れたのでこれ以上話すのはやめました。