2014年6月下旬に行ったサイパン旅行記の続きです。
サイパンには2回目だったのですが、サイパン島の観光をしたことがなかったので、宿泊している日本旅行で1日島内観光を申し込みしました。
1人20ドルちょっとぐらいの値段で良心的な値段でした。
島内観光は1日、午前だけ、午後だけと選ぶことができたのですが、午前も午後も全部まわるコースにしました。
島内観光はバスで各ホテルでピックアップして行きます。
一緒に島内観光をしたのは15人ぐらいはいたと思います。
日本人向けなので、全員日本人観光客です。
ガイドさんはサイパン在住の日本人女性で、バスの運転手さんは現地の体格のいい男性でした。
島内観光の最初はいきなりバンザイクリフです。
バンザイクリフに着いて、バスから降り立った瞬間、ピンと張りつめた何とも言えない空気を感じました。
たとえるなら、伊勢神宮に行った時のような神聖な空気でした。
あの崖がバンザイクリフです。
バンザイクリフから見て左側の崖
バンザイクリフの真下はこのように真下は海です。
アメリカ軍が1944年6月に上陸して、島の北側にあるバンザイクリフまで日本人が追い込まれ、本土に帰るのを夢見て、子どもや女性たちがここから身を投げました。
赤ちゃんを先に海に落として、後追いする女性の姿がアメリカ軍の映像で残っています。
この映像はメモリアルパークで観ることができます。
ここから身を投げてもそれだけでは死ぬことは難しかったそうです。
身を投げて怪我を負った血の匂いをかぎつけたサメに食べられて亡くなったケースが多いようです。
意識がある中でサメに自分の体を食べられるというのはどれだけ痛くて怖かったことでしょう。
胸がさける思いです。
サイパンは、スペイン統治、ドイツ統治を経て、日本統治へとなりました。
日本はサイパンを30年間統治して、その時代は建物も多く建ち、産業も栄えて繁栄したそうです。
そのため、サイパンの人は今でも日本人に好意的です。
日本が統治した30年間は平和で繁栄した良い時代だったようです。
しかし、太平洋戦争が激化して、1944年6月にアメリカ軍がサイパン島の南に上陸しました。
アメリカは日本を攻めるために、地理的にどうしてもサイパン島を手に入れたかったそうです。
当時、日本人の民間人が普通に住んでいたので、多くの民間人が犠牲になりました。
サイパン島の南から徐々に北へと追い込まれた日本人が最後に追い詰められて身投げした場所がバンザイクリフと呼ばれる場所です。
海の向こうに日本があります。
海のあちらの方を見ながら、本土に帰りたいという思いを残したまま、多くの人が身投げしました。
バンザイクリフには慰霊碑がたくさんあります。
無念の思いをしたまま、身投げした人のことを考えると胸が張り裂けそうです。
戦後60年にあたる2005年に天皇・皇后陛下が慰霊のためだけにサイパンを行幸しました。
こちらの場所がその時の場所です。
国旗が掲げられるようになっています。
慰霊だけで海外を訪問されたのは、天皇史上として初めてのことでした。
常にお花があるようです。
多くの方の魂がここで眠っていることでしょう。
バンザイクリフとローマ字で書かれています。
カジュアルに看板が出ていますが、ここは神聖な場所です。
もう言葉が出ないぐらいの空気が張りつめています。
もう言葉が出ないぐらいの空気が張りつめています。
ここで「万歳」をいうような人は確かにあり得ないかもしれません。
そのような雰囲気ではないことだけは確かです。
ただ、近年、サイパンへ旅行するのが圧倒的に中国人が増えているので、こういった神聖な場所を汚されるような気がして心配です。
中国人には日本人特有のこういった感性は理解できないと思います。
中国人には日本人特有のこういった感性は理解できないと思います。
宗教間での派閥が見られるような光景でした。
少し離れたところから見たバンザイクリフの慰霊碑
青い綺麗な海からは想像できないような壮絶な戦いや死があったと思うと、胸が苦しくなります。
今回、バンザイクリフには初めて行ったのですが、こんなに神聖な場所とは思ってもいませんでした。
今回、バンザイクリフには初めて行ったのですが、こんなに神聖な場所とは思ってもいませんでした。
神聖な空気を感じることができたので、行って良かったと思います。
日本人なら1度は行って欲しい場所です。
このような歴史があったから現在があるわけです。
先人が身を張って日本を守ってくれたからこそ、今の平和な日本があるのを忘れてはいけないと思います。
サイパン旅行記、続きます。