2/11(日)16時頃電話が鳴った。
入院先を探す救急隊員から。
「〇〇しゅうじさんの家族の方ですか?」「〇〇しゅういちでしたら私の兄です。」
過去の病歴を聞かれるも、
喘息持ちであったこと以外は知らない。兄は大学から広島でそれ以降の連絡は密ではない。
私「最悪の事を考えるような状態でしょうか?」
救急隊員「意識はあります。そこまではないと思いますが」

私は夕方から仕事だったので、以降の連絡先として妹2人の電話番号を知らせた。そして出勤。

約5時間後、
仕事を終えて妹へ電話すると、
救急隊からの妹への連絡は無く、
心配した妹が広島の救急センターに連絡をして入院先を知ることができたと。
診断は重積喘息で、
ICUよりは軽いHCUに入院。

幸い翌2/12(月)には一般病棟へ。

翌々日2/13(火)に妹と共に新幹線で名古屋から広島へ。広島駅から病院までは市電と徒歩で30分。

面会時間は15分。
点滴と酸素ボンベをつけていた。
咳と痰が時々出ますが歩けていて表情もまぁまぁ。食事は普通食。数日後には退院できるだろうという話でホッとしました。

面会後は、妹と2人で兄のマンションへ。バスと徒歩で40分くらいだったかしら。
部屋の右と左の壁には天井まで積まれた本•本•本。隙間はどこも綿ぼこり、狭い部屋なので整理しきれない物•物。
喘息に埃は大敵、アレルゲン。
掃除を3時間、最後はバルサン。

71歳一人暮らしで子供もいない喘息持ちの兄は、この先1人でやっていけるのだろうか。

⬇広島駅構内。
ドデカイ大谷翔平くん。



ではまた