私の父は、戦争遺児で、
看護師だった母親に放置されて育った。
父親がいなくて進路を誰にも相談できなかったこと、
大人ならば知っているはずの世間を、
教えてもらえなかったこと、
世間を知らない子どもの選択として、
中卒で働くことを選んでしまったことを、
父は生涯、ひどく後悔していた。
子どもには世間が分からん。
だから選択を誤る。
親が世間をわが子に教えなければならない。
そう信じた父は、
父自身がもっとも幸せと思う人生を私に勧めた。
すなわち、
大学を出て、大手企業に就職し、
課長ぐらいに出世して、
金の心配することなく、趣味も楽しんで、
楽に、安泰に暮らしていけ、と。
これを夢見て成し得なかった父の、
とても切ない、子への期待だと思う。
そして私が、
父が勧める道以外の横道にそれないように、
父は、それ以外の生き方を、
ひとつひとつ丹念に否定していった。
結果として、私は、
父が勧める道を行くことができなかった。
父が唯一肯定した道をあきらめ、
それ以外の道を、
父が否定し尽くした中のひとつの道を、
選ばざるを得なかった。
でも、父の思いは分かるから、
父には感謝している。
自分がされて嫌だったのと正反対を子どもにすれば、
それは父が私にしたのと、同じことをやることになる。
親が進路を押しつけるのは良くないが、
かといって、全く何も教えないのも極端だ。
最終的には、子どもが自分で選べばいい。
だけど、何の情報もないと選べない。
親の価値観抜きで情報提供するぐらいは、
親の役割として必要なことではないか。
・・・なんて、私としては考えてみたものだったが、
子どもたちは、
私の存在自体を求めていなかった。
私の父は、遺影でしか知らない父親に憧れ、
戦死した父親を慕って中卒で海上自衛隊に入ったけれど、
私の子どもたちにも、
妻にも、
私は、不必要な存在だった。
わが子たちにとって、
親は二人もいる必要はないんだなって、
つくづく感じた。
私は、
いらない。