お年寄りがある日突然、
ぴたっとものを食べなくなることがある。
自分の死期を悟ったように、
そのまま食べることを拒んで亡くなることは、
この仕事をしていると珍しくいことではない。
人間の身体はずいぶん複雑だ。
いろんな原子が秩序だって集まり、身体を構成している。
でも、自然界は本来、
秩序だって人間の身体などを構成するより、
原子、分子でバラバラに存在したい。
その方が、エネルギーが少なくて済む。
エネルギーは高い方から低い方へ流れ、
最も低くなったところで安定する。
それがエントロピー増大の法則(熱力学の第二法則)だ。
人間が生まれて生きるということは、
より秩序だった状態を構成することだから、
この自然則に反している。
人間はエントロピーの低いもの(=秩序だったもの、他の生命)を食べて、
エントロピーの高いもの(=より無秩序なもの、うんこ)を排泄することで、
その差で自身のエントロピーを低く保っている。
エントロピー増大則に逆らって低く保つ力が生命であり、
その代謝ができなくなったときが、死。
死ぬと身体はエントロピー増大則に従って、
無秩序バラバラな方へと、分解されていく。
シュレディンガーは自著『生命とは何か』の中で、
そう言っている。
で、きょう読んだフロイトは、
*生への欲動:生きようとして物質を常に大きな生命体にまとめようとする力。
*死への欲動:生きている状態を無機的な状態へ戻そうとする力。
=死へと進んでいく力。
と、はっきり書いている。
自己破壊衝動、死への欲動、タナトス、
などと言えば、
なんか少し感傷的でロマンティックなようだけど、
なんだ、
エントロピー増大則(熱力学の第二法則)を言っているのだった。
だけど確かに、
生まれた以上は死ぬことを、
「死への欲動」
という言葉で、
思ってみたことはなかった。
自覚してもしなくても、みんな、
死へ向かう力に抗い、
生きている。
生きるとは、
死へ向かう力に抗うことだった。
あえて抗わなければ、
死ぬんだ。
生と死は、ひとつのいのちの表と裏だ。
死にたい気持ちとして自覚されるかどうかは別として、
死に向かう力は、
生きとし生けるものすべてにはたらいている。
どこまで力を込めてそれに抗うか、
の、違いに過ぎない。
健康志向、体力増進、美容と、
めいっぱい力を込めて抗うか、
自然に生きていられるていどに抗うか、
抗うのをやめて、死ぬか。
そういうことだったんだ。
自殺って、
力を込めて無理やり死ぬことじゃなくて、
死への力に抗うのを、
やめることだった。
↓ きょう図書館で借りて、
解説以外、ぜんぶ読んだ。
でも、この中に、
あたらしい「知りたい」が出てきた。
ショウペンハウェルが同じことを言っている、
と言うのだ。
↓ こちらは自分で持っている。
当然、一度は読んだのだけど、
フロイトを踏まえて、また、
読み返してみないといけなくなった。
きりなく続いていく、
のだろうか。