2025年明けました
このブログは、私の気持ちを言葉にして整理できる大切な場所です。
今年もどうぞよろしくお願いします。
毎年のルーティンで、
年末は実母(92才)と叔母(88才)の姉妹が住む実家の大掃除をして
正月には実家にいとこたち(叔母の子供)が泊まるので、料理をしたりフトンを干したり準備をします。
自分の家より実家を整えるのに忙しいです。
昨年末、叔母にとても嫌なことを言われました。
昨秋、私の娘が結婚したとき
「叔母、母、いとこたちから5万円ずつお祝い金を渡したのに、お返しがその金額に見合わない。失礼だ!」
娘が内祝いで送ったカタログギフトで注文した水筒を見せて、
「これっぽっち」
「ひどすぎる」
「常識なさすぎる」
と言うのです。
昨秋、叔母に娘が結婚したと伝えたら
娘の夫を連れてこい。と言われて。
私の叔母と娘の夫のKくんは
これから濃い親戚づきあいをするわけでもないので
わざわざ遠くまで来てもらうのは気がひけたのですが.。
Kくんは快く私の実家に来てくれて
私の目が見えない、耳の聞えない母の手をとって
耳元で大きな声で
「Kです。これからよろしくお願いします。」
と、挨拶してくれました。
母はとても喜んで、
Kくんの優しさが沁みて、私も感動したのでした。
そのときにたくさんのお祝い金を渡してくれたのですが、私は一万円くらいの額を包んでくれたのかと思い
「3千円くらいのお返し送ってね」と言ってしまったのです。
たしかに、5万円に対し3千円のお返しは少ないかもしれないけど、、
叔母の口汚い言い方。
「ひどすぎる」だの、
「子供たち(私のいとこ)に預かったお金を自分がくすねたと思われる」だの、
ねちねちしつこく言われて。
はじめは黙って聞いて謝っていた私も、
一言叔母に伝えたら、マシンガンのように止まらなくなりました。
「若い二人がこれからいろいろあるけど、
一緒になってがんばろうって気持ちを応援したくてお祝い金を包むんじゃないの。」
「私はお祝い金でもお悔やみ金でも渡したら、お返しがいくらかとか考えたことないけどね。」
「そんなことネチネチ言われて娘の門出にケチつけられるんなら、
お祝い金なんていらなかったし、Kくんも連れてこなくてよかった。」
自分のことなら、いくら言われてもバカにされても流せるけど、
娘のことをケチョンケチョンに言われて、ガマンできませんでした。
娘が優しいKくんとの良縁に恵まれたことが嬉しくて。
私もその縁を大切にしたくて気を配ってきたのに、
ほぼ関係ない叔母がしゃしゃり出て、平気で娘の幸せの門出にドロを塗る感じがして
とても嫌でした。
それでも、そんなこと言われて何もしないわけにいかず、新年の集まりのときには15000円のお返しをそれぞれに用意して、渡しました。
年末年始は娘も帰省していて
(KくんはKくんの実家へ)
オブラートに包んで事の次第を説明したけど
(娘の気持ちはありがたかったけど、この先娘が困らないようにあえて言いにくいことを教えてくれてるんだって、と)
娘の表情は曇り、もうお母さんの実家に行きたくなくなっちゃった。
今年で最後にする、と言いました。
息子たちも「何それ、めっちゃむかつく。
お返しに文句言うなんて、もともと渡さなきゃいいのに。
僕のお嫁さんは絶対に連れていかない」と言いました。
********
結婚て、新郎新婦の幸せを願うデリケートなものと思うんですが、
叔母は私の結婚式にも
私の苦手な親戚を私の結婚式に呼び寄せるのにがんばったり、
別の遠い親戚の結婚で、親族写真に入れてもらえなかったからと激高して
披露宴をボイコットして帰ったり(叔母+いとこたち)しています。
叔母の底意地の悪さに触れ、
母が一緒に暮らしているから遠慮して合わせないといけないし、
昔のいろんな恨みつらみも思い出して、
落ち込んだ年末年始でした。
叔母はもう88才。
ねじ曲がった心は変わらない。
ラインや電話の叔母の名前の表示を
「反応しない練習」に変えました。
「反応しない練習」は、こころを穏やかに保ち幸せに生きていくための仏教の智慧が書かれている私の愛読書です。
「反応しない練習」をつづけて、
自分の心、自分の大切な家族を守っていきたいです。