お盆が近いからか、最近亡き実父のことをよく思い出す。
父はアルコール依存症だった。
暴れることなく自宅で静かに飲んでいたので、晩年までアルコール問題が表面化しなかった。
70才を過ぎて朝から晩まで飲み続け日常生活がままならなくなり、アルコール依存症と診断されて入院した。
そのころには脳が委縮してアルコール性痴ほう症で、退院後、五年間お世話になった老人ホームで息をひきとった。
寂しい亡くなり方だった。
足に血栓がつまり足を切断するしか治療法がなかったが、痴呆が進んでいる父には術後の安静を保つことは無理なので、手術は行わず、痛みを麻痺させる麻酔で数か月眠り続け、意識のないままあの世に旅立った。
父を思い出すと苦しい。
弱視、難聴で、親しい友人もいなかった父。
婿養子で稼ぎが悪く、姑や小姑にいじめられていた父。
私も、父を恥ずかしいと思い、父に冷たいひどい態度をとっていた。
ひとりぼっちだった父。
孤独だった父。
酒しか頼れるものがなかった父。
ひとりぼっちで亡くなった父。
私は、社交のため、やっつけ仕事をこなすためのガソリンとして、酒をうまく使っていたつもりだった。父とは違う、と思っていた。
でも、どんどん異常な飲み方(不適切な場所、量)となり、父と似た飲み方となっていった。
今はアルコール依存症を認め、自助会に通いながら断酒を続けて約9年になる。
父も酒をやめたい仲間の話を聴き、自分も正直に話して笑いあう一時があれば、孤独が和らいだのだろうか。
自助会に通うと、私の中の父のDNAが喜んでいる気がする。
最近、私は「がんばらないと嫌われる」と思い込んでいることに気づいた。
がんばらなきゃ、人の役にたたなきゃ嫌われる。孤独で死んでいく、と思い込んでいる。
もっともっとがんばらなきゃ、とがんばれない自分を責めてしまう。
私の子どもの中で、末っ子が一番父に似ているが、その末っ子に対しても「がんばらないと幸せになれない」という気持ちが湧いてきて、しっかり勉強しないと不安になってしまう。
「がんばらなきゃ嫌われる」
そんなのは嘘だ。
だって私は父が好き。
ずっと、ずっと好き。
子どものとき、ヒザにのせてかわいがってくれた。
私の絵を描いてくれた。
手をつないで近所のオモチャ屋さんにいって、お人形を買ってくれた。
父の手は、ゴツゴツ固くて、温かかった。
がんばらなくても、父が好きだ。
そう思ったら、私の中の父のDNAが救われた気持ちになったし、末っ子も「がんばらなくてもいい」「そのまんまでいい」と思える。
それが父への供養になるとも感じる。