やっと読めたーーーーー!!!!!

一年前、ふと、第二次世界大戦時、どうして日本はドイツと組んだんだろう?と思って手にしたこの本。

 

 


世界史に疎(うと)く、ドイツだけでなくヨーロッパの成り立ちもチンプンカンプンだった私には難しく、途中で読むのを断念しました。



あれから一年、ムンディ先生のユーチューブや本で世界史を学び。

他の「嘘だらけ」シリーズも読み。

最近、ようやく「嘘だらけの日独近現代史」を読み終えることができました。
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第二次世界大戦でドイツに接近したのは、もともと日本にとってドイツが憧れの国だったのもあるのです。


大日本帝国憲法の起草にあたり、伊藤博文らはさまざまな国の憲法を研究し、君主の力の強いドイツの憲法を参考にしました。

明治維新で富国強兵をモットーにした大日本帝国陸軍。
当初はフランスをお手本としたのですが、
普仏戦争(1870~1871)でドイツ(プロイセン王国)の勝利を見届け、ドイツ陸軍を模範にしました。

さまざまな分野で最先端の知識と技術を誇っていたドイツ。
明治の日本には多くのドイツ人が招かれ、法学、軍事、医学などで教鞭をとりました。
戦前の医学用語はドイツ語でした(カルテもドイツ語)。



普仏戦争後、ドイツは宰相ビスマルクの手腕で周辺国と絶妙なバランスを保ち、長年平和を謳歌していました。

しかし、ビスマルクから若くて血気盛んなヴィルヘルム二世の代になり、周辺国との衝突が絶えなくなります。


1895年、日清戦争で日本が勝利したあと、ロシア、フランス、ドイツは遼東半島を返還するよう要求しました(三国干渉)。

清と朝鮮を狙うロシアの干渉はわかる。
ロシアと同盟国だったフランスもわかる。
でも、なんでドイツ?

ロシアと争いの絶えなかったドイツは、ロシアの目を極東の日本にそらしたかったのです。
日本を餌(エサ)にして自らに火の粉がかかるのを防いだのです。



1902年、日露戦争に備えて、日英同盟が結ばれました。
これも、黒幕はドイツだそうです。

日英vs露仏の構造を作り、
大国同士が争い、疲弊するのを高見の見物しようとしたのです。

しかし、英仏はそんなドイツの思い通りにさせるはずがなく、日露の戦いには中立を守ろうと英仏協商を結びました。

日露戦争で日本が勝利した後は、日露、日仏、英露で協商が結ばれ、日本だけが安全地帯のドイツ包囲網が出来上がりました。
日本を餌(エサ)にしたドイツに、見事な仕返しをしたのです

1914~1918年の第一次世界大戦で、ドイツは大敗しました。


アメリカの圧力で日英同盟を解消され、日本は英米との対立を深めていきます。

同じように英米と対立していたドイツ、イケイケドンドンで快進撃を続けていたドイツにシンパシーを感じ、英米との力のバランスをとり戦争を回避するためにも、ドイツとの同盟に傾いていったのでした。


1940年9月、日独伊三国同盟が結ばれてまもなく、著者・倉田満氏イチオシの卓越した見識を持つ元外交官、石井菊次郎氏はこのような演説をしました。

「フレデリック(フリードリヒ)大王以来、プロイセン・ドイツと組んで幸せになった国はない。」

「ヒトラーは吸血鬼のようなやつだ。」


第二次世界大戦中も、ドイツは裏で中国に武器を売り続けて金もうけしていました。

日本が真正直に同盟を組んで忠誠を示しても、ドイツにはいつも裏の顔があるようです。



第二次世界大戦後、同じ敗戦国でも日本とドイツは違います。

すべてをヒトラーの責任にして、自らもヒトラーの被害者だったように振る舞い、戦後も軍備を放棄しないドイツ(要となる戦争で米英につき、資本主義国であることをアピールしてきた)。
戦後もしたたかに、しぶとく、堂々と生き残っています。
(かたや、牙をぬかれアメリカの顔色をうかがうばかりの日本)。


「嘘だらけの日独近代史」を読み、陸続きの国々とさまざまな紛争で勝ったり負けたり、権謀術数の限りを繰り返してきた百戦錬磨のドイツは、島国の日本とは感覚が違うと思いました。

平気でうそを尽くし、約束も破ります。

そうでないと生き残ってこれなかったし、したたかなドイツに学ぶこともたくさんあると思いました。
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日独史を学んでとても面白かったのですが、これがきっかけで、めちゃかっこいい人を知ることができました。

深井龍之介さんです!!!!!



深井さんがCEOを務める株式会社COTENでは、
世界史データベースの構築、
世界史を面白く伝えるコテンラジオの発信
を行っています。

ドイツの歴史について調べてるときに、コテンラジオがとても面白くて。
わかりやすくて、ためになって。

このイケメンは一体だれ?ってなりました。

COTENの活動、応援したいです。