信じられぬと嘆くよりも、人を信じて傷つくほうがいい。の歌詞、子供の頃はなんとも思わなかった。

今なら痛いほどよくわかる。

人を疑いの心で見ると、いつも心が不安定で、

猜疑心の塊で、何をやっても、相手からの好意的な行動でさえ、疑い、不信感で裏を読み、この優しさは本当か、裏の目的があるのか、すべて疑いの目で見てしまう。


そんなことが日常的になり、習慣になり、心の安らぐ暇もなく、心は乱れ安らかず、否定的な心になり、心を閉ざす。


心を閉ざすから、優しく安心できる人にさえ、疑いがとれず、猜疑心の塊で徐々にうまくいかなくなり、疑いが本当になっていく。

そこだけに焦点を当てるから、人の思いやり、優しさ、好意を見れなくなり、受け入れられなくなり、孤独になり、負の連鎖が始まっていく。


意識をそこに向けるから、疑うことが多くなり

現象化する。

人を信じることができたら、人の優しさ、親切心をうけとることができる。

この世界は優しさに満ちた世界になる。


自分を傷つける人がいる。

自分を大切にしてくれる人もいる。

傷つける人のせいで、自分の世界から信頼、愛、純粋な心を消してはいけない。

傷つける人のせいで、心を閉ざし、孤独の世界に行ってはいけない。

そんな人もいるんだと理解し、自分を大切にする人、愛を持ってる人もいると、人を信頼し、愛があると信じ、そんな愛のある人達と関わっていける世界で過ごそう。

この世界は優しく簡単で楽しい、そのことに気づいて、意識を向けよう。


人を信頼するもともとあった、自分の信じる心、純粋さ、優しさ、愛、人との繋がりを誰かのせいで失くさないように。