人生百年 老いの風景〈1〉

 

  01 後期高齢者になった

 

 わたしは昭和24年(1949年)生まれの団塊世代。おととし(2024年)

75歳になりました。75歳からは、いわゆる、後期高齢者です。

 

 30代や40代のころ、その「後期高齢者」をどう思っていたかを思い出そうと

しましたがどうも思い出せません。それもそのはずで、30代、40代のころ、

 まだ「後期高齢者」という言葉はなかったようです。         

 

 「後期高齢者医療制度」が開始されたのが2008年(平成20年)だそうなので、その言葉―後期高齢者―が耳目を集めるようになったのは、わたしが60代に入った、今から17,8年前の2009年ころからになるようです。

 

 そうしたなかで、その「後期高齢者」という言葉をめぐって、世間が騒がしかった時期があったことが記憶にあります。       

 

 ただ、それがいつだったか、また “騒ぎ” の発端がなんだったかは覚えていませんが「後期高齢者医療制度」の名称をめぐっての “騒ぎ” だったような気がします。

 

 「後期高齢者」という言葉は、高齢者を年齢で区切って一律に区別し、社会から排除しているかのような差別的な印象を与えるのではないか? ―—確かそのような意味のことを、国会で野党の議員が政府を追及していたように記憶しています。        

 

 当時は、わたしはまだ後期高齢者ではなかったため、“騒ぎ” をいわば “外野” にいて見ていただけでしたが、今は、自分自身が、その「後期高齢者」の当事者になったのです。歳月が容赦なく流れていったことを実感させられます。            

              ハートのバルーン

 わたしは4人兄妹の長男で、弟がふたり、妹がひとりいます。    

 わたしが75歳になった日に、7歳年下のふだんはほとんどやりとりのない60代の妹―—彼女がまだ赤ん坊のころ小学1年生だったわたしが母にたのまれておんぶ

して子守をしていたときがあった――から、SMSでメールがありました。    

 

 「何だろう?」と見ると、「75歳の誕生日おめでとう。(ロウソクが立ててある

ケーキの絵)動きはスローになるけど、お互いにぼちぼちいきましょうね! この一年健やかに過ごせるように祈ってます。後期高齢者の仲間入りだね(笑笑)」

 ・・・・とありました。  

 

 わたしは妹が誕生日を覚えていてくれたことにビックリしました。

 

 そして、「おめでとう」のメッセージをくれたことを嬉しく思い、

「なんて兄思いなんだろう」ふんわり風船ハートと感激しました。

 

 世界広しといえども、わたしの誕生日に「おめでとう」と言ってくれる人はそう

何人もいません。配偶者と子どもぐらいです。

 

 でも、妹からの「誕生日おめでとう」には素直に喜べましたが、本当のこととは

いえ、「後期高齢者の仲間入りだね(笑笑)」の(笑笑)には、ハテ? となり、

(笑笑)は余計なのでは? と思いましたふんわりリボン(笑)。

 

 自分で自分のことを自嘲気味に「後期高齢者の仲間入り」などと言うぶんには

なんともありませんが、人から笑いながら言われると、いくら親愛的な妹とはいえ、微妙な気持になるのは否めません(笑)。  

 

 とはいえ、妹がわたしのことを「後期高齢者の仲間入りだね(笑笑)」とメールしてきたように、確かに人は年々と歳を取り、やがて後期高齢者と呼ばれる域にまで

達していく(老いていく)ことは否定できません。               

               オカメインコ

 ところで、わたしはいつのころからか(たぶん40代か50代のころだったか)、

本の題に老いがつく本を買うようになりました。自分が本格的に老いを迎えたときの参考にしようと思っていたのです。 本棚にはそれらの本がいまも300冊以上並んでいます。

 しかし、60歳を過ぎ、70歳を過ぎても、あまり自分が老いたという気持ちが

わかず、それらの本を紐解くことはほとんどありませんでした。

 

 けれども、さすがに後期高齢者となったせいかどうしてかはわかりませんが、

最近、もうそろそろ、それらの本と向き合うことがあってもいいかもしれないという気持ちになりました。      

 

 実際に、最近は老いを感じることも多くなりました。なので、妹のメールにあった言葉ではありませんが、「ぼちぼち」と、これから老いについて考え、自らの体験や、人の体験など――老いの風景――を少しずつ書き記してみようかと思います。

 今はまだ若くても、いずれは老いていく人たちにとっていくらかでも参考になれるかもしれません。

 

 02 あまり老人という自覚がないわたし

 

 後期高齢者となったわたしはハッキリ言えば、老人かもしれません。

 「かもしれない」というのは、何歳からが老人という決まりはないようだからです。  

 もちろん老人福祉や、国民年金、高齢者の医療の分野では、65歳以上を高齢者と定義しています。  

 

 しかし、平均寿命や健康寿命が延びているため、65歳を高齢者とする定義には

疑問も上がっており、65歳以上でも、心身ともに健康で社会活動に参加している

人が多いので、高齢者の定義を再考する必要性があるのではないだろうか? と言われていたりします。現に、65歳以上の就業者数は900万人を超えています。

 

 そうした中で、さすがに今年、誕生日がきたら77歳になるわたしは、

冒頭でも書いたように、やはり、もうれっきとした老人なのかもしれません。  

 

 しかしながら、当のわたし自身は、自分のことを老人だとは思いたくありません。というより、実は老人だという自覚はあまりないのです。               

 

 「なにを言いよるかのうこの人は。ちょっと頭がどうかしているんじゃなかろか?」(笑)と思う人がいるかもしれません。

 

 しかし本当なのです。それゆえに、もちろん60歳や65歳、70歳になったときも、「自分は老人になった」と思ったことは一度もありませんでした。そのころは

たしか中年の延長だと思っていました。

 

 中年は青年と老年の中間の年ごろです。ふつうは、40歳代から50歳代くらいまでが中年ですから、厚かましいと言われればそれまでなのですが。

              ニコニコ

 とはいえ、なんだかんだ言ってもさすがに、やがて77歳になろうとするなかで

心境の変化はあります。

 

 というのも、これまでにはなかった身体の変調を以前にもまして感じるように

なってきているからです。たとえば、朝、起きようとするとき、以前のようにスッとは起き上がれず、「ヨイショッ」と言いながら立ち上がります。

 

 また、床に屈もうとして腰をおろそうとするとき、すんなりとは屈めません。

 さらに、体幹がしっかりしてないせいか、体がときどきゆらゆら揺れている感じがします。

 ある夕方、散歩から帰って来るわたしの歩く様子を見た隣の奥さんが、

「なんだか体が揺れているみたいだったね」と言ったことがありました。

 

 どうも歩くときに重心がフラフラしていたようですが、そうしたことは、それまでは、なかったことです。朝は、サッと起きて、スタスタと歩いて洗面所へ行き、

鏡の前で、しっかりと床に立っていました。 

 

 それゆえに、そうした素早い身の動きができなくなり「あれっ? いよいよオレも老人か?」と思うときがないわけではありません。

 

 しかし、くどいようですが、それだからと言って、「オレもいよいよ老人だ」と思うことはないのです。

 ―続く

                カエル

              2026年2月26日(木)

           雨水  霞始めてたなびく(かすみはじめてたなびく)

         春霞がたなびき、山野の情景に趣きが加わるころ