定年後を“いい人生”にする方法〈48〉
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人生には思いもかけないことが起きます。定年後の人生においても例外ではないでしょう。前回は、数年前に定年退職し、その後これまで普通に生活していた妻が昨年暮れに突然、腰椎を骨折して動けなくなり、今年1月、医師に、「手術してリハビリ
すれば動けるようになりますが、手術をしないとこのまま寝た切りの生活を送ることになります」と言われ、わたしが「すぐにでも手術をしてください」と訴えたところまで書きました。今回はその続きです。
〇要介護認定の申請をする
医師は妻の腰の手術を前に夫のわたしに手術の説明をしてくれました。
全身麻酔をしたうえで腰椎の”粉砕骨折”した部分を人工骨に置き換え、周辺を
スクリューと呼ばれる器具で固定するというものでした。
〈ふ~ん・・・すごいことをするもんだ。医療の技術はすごいのう〉
わたしは感心して悦明を聞き、終始ニコニコして話すその医師の腕に信頼を寄せ、手術の成功を祈りました。そして今年の1月23日午前。手術室の扉の前で看護師に点滴を受けながら移動式のベッドに横たわっていた妻を、わたしは、「無事に手術が
終わりますように・・・」と祈る思いで手術室に見送りました。
そしてその後、急いで区役所の介護保険の窓口に行き、要介護・要支援認定の申請を行いました。1月20日に医師から手術を勧められた日、「患者サポートセンター」の看護師から、そうした方がよいとアドバイスを受けていたからです。
わたしはこれまで、モノゴトをテキパキできる人間ではありませんでした。
しかし妻が突如として予想もしなかった状態になりこれは一大事、「火事場の馬鹿力」ではありませんが、普段ではありえない動きをしたのです(笑)。
区役所で介護認定の申請を終えたわたしは、再び病院に行き、医師から手術が無事に終わったことを知らされました。わたしは手術が成功したことに安堵し、
医師に心から感謝の意を述べました。
妻がこの先、寝たきりの人生を送らないですむようになったからです。
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しかしながら、妻は寝たきりになるのは免れましたがその後の入院生活では腰の “痛み” に悩まされながら、辛い、リハビリの日々を送ることになります。
手術後すぐは、もちろん、寝た状態から起き上がることもベッドから床に降りる
こともできません。しかし、医師はそんな老女・妻を甘やかすことなく、
「 がんばってリハビリして、早く旦那さん(わたしのこと)が待つおうちに
帰りましょう」と例のニコニコ顔で言って妻をリハビリに向き合わせたようです。
ただ、妻は “痛み” がなくならないことを面会の時やSMSでずっと訴えていました。 しかし、わたしになす術はなく、「そのうち痛みも和らぐだろうないから痛い時は
痛いと先生に正直に言った方がいいと思うよ」と、まやかししか言えませんでした。
〇介護が現実になる
そうした中、2月の下旬のある日、手術が行われた1月23日にわたしが区役所に行って要介護・要支援認定の申請の手続きをした結果の通知書が送られてきました。
通知書には、介護の認定会議の結果、妻は「要介護5」に認定されたとあり、
今後、ケアマネジャーを選定してケアプランを策定し、云々・・・とあります。
妻が寝床から起き上がれない状態になり、そのためわたしが要介護認定の申請したのはまちがいないこととはいえ、しかし実際に妻が「要介護5」になったと知らされると、
「介護」はまだ自分たちとは直接関係がないと思っていましたが、
これからはそうではなく、「介護」の現実に「自分たちもついに足を踏み入れたのだ」
と思わざるをえませんでした。
妻は手術後22日間入院し、治療とリハビリを続けた後、今度は近接するリハビリ総合病院に転院して医師と専門のスタッフによる本格的なリハビリーーー家に戻れるように回復させる訓練ーーーを受けることになりました。
〇妻はリハビリを本格的に行うことに
2月10日の朝。わたしは車椅子に乗った妻を病院に迎えに行き、車椅子を押してくださるヘルパーの方とともに、転院先のリハビリ総合病院に歩いて向かいました。
そしてその日以来、妻は4月16日に退院するまでの2カ月余りにわたって、
治療とリハビリに邁進したのです。
妻はその日の訓練の一端をSMSでわたしに知らせてくれていましたが、たとえば
平行棒を支えにしながら、かかとから足を下ろす歩き方の練習、廊下をサークルに
支えられて歩く練習。
または、寝た状態から起きる練習、床等に落ちている物をしゃがんで拾う練習、
靴下を履く練習、腰の負担を軽減するために腹筋や体幹を鍛える運動やスクワット、階段の上り下りの練習――—などといったものです。
それらのひとつひとつの動作は健常者にとってみれば、またつい最近までの妻に
とってもなんでもない動作。しかし「要介護5」となった妻にとってはひとつひとつが超えなければならない「壁」でした。
しかしスタッフである理学療法士さんや作業療法士さんたちの励ましに支えられ、妻はそれらをひとつずつクリアし、退院が近くなるころには療法士さんと共に病院の周辺を散歩できるぐらいまでに身体を回復していたのです。
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〇リハビリ病院を退院後の妻の生活
さて、4月16日に妻が病院から退院して家に戻ってきてから3カ月と少しが
経ち、いまこれを書いている日は7月20日です(今日は12月28日ですが)。
腰椎の損傷で「要介護5」と介護認定された妻の現在はどうなっているかというと、入院中に自宅にいるわたしが病院とケアマネージャーさんらと連絡をとりながら介護保険サービスを利用して家の中に搬入・設置してもらった福祉用具ーーー
介護ベッド、玄関で靴を履いたり脱いだりするとき腰かける椅子、家に入るときに掴まる床から天井に立てられたポール、階段と浴室内と脱衣室の手すり、
浴室のシャワーチェア、浴槽内の台ーーー
に支えられながら、不自由ながらもありがたいことに毎日を元気に送っています。
そして、月に1度、ケアマネージャーさんが家に訪問してくれています。 さきにも書いたように入院したころは床のモノをしゃがんで取ることも靴下を履く
こともできませんでしたが、今はもちろんできますし、階段の昇り下りもできます。
家事は、洗濯やゴミ出しは自分でやれますが食事はわたしが1階の台所でつくって2階の彼女の部屋まで運んでいます。食べた後の食器を持たせて階段を降りるのは
危ないだろうと思うので食器もわたしが下ろしています。
退院した後もリハビリをしたほうがよいだろうということで、入院していた
リハビリ病院の ”訪問リハビリ” を、週に2回、それぞれ1時間ずつ受けています。
その甲斐あっで、退院してきたすぐのころは、散歩するときはわたしが付き添っていましたが、今ではときどきひとりで散歩するようになっています。
コンビニまで歩いて買い物もできるようになっています。また、手術して入院して
いたころより付けていたコルセットは、シャワーを浴びる時以外は付けたままでしたが、今は、時々は外してもいいと医師の指示が出ています。
ただ、入浴のときに浴槽に入ることは医師から禁じられているようです。びっくりぽんですが、入浴中に骨折することがあるらしいのです。今月(7月)末には病院に行きますのでもしかしたらその時は医師に、「もうお風呂に入ってもいいです」といわれるかもしれません。
今日は参議院選挙の投票日。息子が車に妻とわたしを乗せてくれ、3人で暑い中を投票所に行ってきました。(今日は12月28日で選挙はありません。念のため)
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〇自分も介護されるときがくる?
さて、前回と今回、ある日突然、妻が腰椎を骨折し、手術・入院したため、
要介護認定申請をしたところ「要介護5」と認定され、つまりそれまで関心はあったが切実さはなかった「介護」が、青天の霹靂のように切実な問題として我が身にも
降りかかって来たというーーーその経緯などを述べて来ました。
なぜ個人的な家族の介護の事情を縷々述べさせてもらったかと言うと、今や介護は、定年後を送っている多くの人が遅かれ早かれ直面する問題だと思うからです。
もっとも、わたしに言われなくてもすでに親や家族の介護に携わっている方、
あるいは自分自身が介護を受けている方もいらっしゃるかもしれません。
いずれにしても、介護は高齢化が進む現代社会においてますます重要性を増して
います。妻が要介護者となり介護を必要とするようになったことで、
わたしはそのことをひしと痛感しました。
それだけでなく、妻の介護を体験したことで、「明日は我が身」、
ーーー自分もいつかは介護を受ける時がきっとやってくるにちがいないーーー
ということを強く突き付けられました。
ということは、自分もいつかは思うように体の自由がきかなくなり、歩けなくなったり、風呂にひとりでは入れなくなり、
食事をつくることはおろか、自分で食べることも、下の始末もできなくなり、
つまり自分の身体の世話をまるごと他者(介護者や施設)に委ねることに
なるかもしれないということです。
〇介護の現実に直面する前に・・・
幸いなことに、わが国には制定されて今年で25年になるという介護保険制度が
あり、要支援・要介護認定を受けた人が介護サービスを利用することができ、
認定された要介護度によって、たとえば、食事、入浴、排泄、着替えなどの身体的
介護や、炊事、洗濯、掃除、買い物などの日常に必要な生活援助、その他、精神的
援助、機能訓練、社会参加支援、医療機関や介護施設との連携、家族への支援など、
様々な形で生活全般を支えるしくみがあるということです。
わたしは介護保険制度に熟知しているわけではありません。というよりほとんど
知りません。ただ妻が腰の骨を折り動けなくなくなったことで、役所へ行き、
そこで要介護認定の申請をしたら「要介護5」との認定が下され、
そこから、介護保険法で定められた、地域住民の健康保持や福祉の増進を
援助する、「地域包括支援センター」というところがあることを知ったり、
また、介護を受ける人のために、介護の方針を定めたサービスの内容・費用などの計画を立てたりする専門家であるケアマネージャーとのかかわりを持つようになりました。
そうしたことを通して介護が社会的な大きな仕組みの中にあることを肌で知るようになりました。
前にも繰り返し取り上げたように、定年後は夫婦ふたりだけの生活になったり、
しかしいずれはどちらかが先に逝き、ひとりになるときがやってきます。
そして、おそかれはやかれいつかは介護が必要になるときがやってくるでしょう。 その介護は、わたしの妻のケースをご紹介させていただいたようにある日突然始まります。
定年後を “いい人生” にする道中には、そうした介護の世界が待っているということも心にとめ目を向けるようにしておくとよいかもしれません。
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2025年12月28日(日)
冬至 しかの角解つる(しかのつのおつる)
大鹿の角が抜け落ちて、生え変わるころ
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この一年、ありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。
年が明けて1回目は「新春
映画の散歩道ー『TOKYOタクシー』
をお送りします。その次が〈49〉〈50・最終回〉です。
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新しい年が戦争のない平和で希望の持てる年でありますように! どうぞ良いお年を!
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