ニコニコ定年後を”いい人生“にする方法〈3〉

                 

 赤薔薇今から25年前の1999年に岩波書店から刊行された『定年後「もうひとつの人生」への案内』―――。折しもその年に50歳になり〈自分も10数年後には定年になる・・・〉と定年や定年後のことを考えるようになっていた私も当時早速その本を買いました。

 

 22万部のベストセラーになったという本の反響がよほど大きかったとみえて、岩波書店は翌年の2000年には『私の定年後』を、続いて2001年には『定年後 「もうひとつの人生」への案内 最新情報版』を立て続けに刊行しています。

 

 2冊とも今でも私の書棚に並んでいますが、取りだして、あらためて見てみると、『私の定年後』は、「私の定年後」をテーマとする原稿を岩波書店編集部が新たに募集したところ海外からのを含めて440編もの応募があったうち、編集部がその中から40編を選んで1冊に収めたものになっています。

 

 寄せられた手記の内容は、至福の趣味体験、新しい仕事への挑戦、ボランティア活動の喜び、直面する介護の現実・・・・。ユニークな記録から穏やかな日常まで、豊富・多彩な事例、生き方のメニュー が載っています。

 

 そして後者の本は、1999年に刊行されて大きな反響をよんだ『定年後 「もうひとつの人生」への案内』のうち、「Ⅲ 知っておきたい手続き・仕組み」を全面的に改定したというものです(ⅠとⅡは1999年に刊行されたものと同じ内容)。  

 

 いずれにしても、定年後の人生への道しるべといった風のそうした本の反響が、

当時いかに大きかったかがうかがえるのではないかと思います。

 

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 雷どうして私が25、6年前のそうした本のことをこうして取り上げているかというと、毎年「小学1年生」や「新成人」や「新社会人」がこの社会に生まれてくるように、定年になって「定年後の人生」に踏み出す人も、同じように毎年、新しいライフ・ステージに “登場” してくるからです。 

 

 とはいえ、現在と25年前はいろいろな面で時代を異にしています。

しかしながら、『定年後 「もうひとつの人生」への案内』の、前回ご紹介した「まえがき」には、確かこういう一文がありました。  

 

 「”企業中心社会”といわれてきたこの国で〈定年退職後の長い年月をどう過ごすか〉が切実な問題として浮上しているのは、当然のことといえるでしょう」。     

 

 またそこにはこうもありました。 

 

 「『会社人間』としての拘束や特権から突然離脱し、生活のリズムも日々の目標も否応なく激変したあと、自らにふさわしい、充実した「第二の人生」をどう選びとるか―—この問いに多くの人が向きあい、それぞれに模索を続けています。『定年』は、いまやゴールとしてだけではなく、豊かな可能性をはらんだ「もうひとつの人生」のスタートラインとして受けとめられつつあるのです」         ・ 

 

 ・・・・・どうでしょう。これを読んで、今の日本とはかけ離れすぎている、とても当てはまらないと思われるでしょうか。私はそうは思いません。

 

 もっとも、最後のところにあるように、定年後が「豊かな可能性をはらんだ『もうひとつの人生』のスタートライン」という表現は、それはもっともなことだとしても、

 しかしながら、人口減少社会、超高齢化社会、経済の停滞と低成長が続いている現在のこの日本の社会で、これから定年を迎える人たちに、果たして本当に、「定年後の豊かな可能性」が拓けるのだろうか? という懐疑的な見方をしようとすればできなくはないかもしれません。

 

 また、25年前と現在とは雇用環境が大きく変化しています。

25年前も今も定年の年齢は60歳のところがほとんどですが、しかし今は、実際は65歳まで働けるところがほとんどです。なかには70歳まで、あるいは70歳を越えて働けるだけ働けるといったところもあります。

 

 25年前とは異なるそのように変化した状況を思うと、言い方に語弊はあるかもしれませんが、この先も多くの人が60歳を過ぎても「延々と働ける」労働環境になっていったら、そのうち「定年」も「定年後の新しい人生」も、実質的には、あまり意味をなさなくなるかもしれません。

 

 つまり、定年だナンだ、に関係なく、大勢が「生涯現役」で働く人ばかりになったら、「定年」も「定年後の人生」も、きっと、死語と化してしまうことでしょう。

 

 しかし、そうした社会の変化がこの数年のうちに、ドラスティックに起るとは思えません。そうである以上は、つまり、60歳で定年退職した人は勿論、65歳で定年退職した人、70歳で定年退職した人が現在も大勢いらっしゃるというもとにあっては、それらの人々にとり、くだんの『定年後 「もうひとつの人生」への案内』の「まえがき」にあるような〈定年退職後の長い年月をどう過ごすか〉は、やはり切実な問題となるはずです。

 

 そして、これまで何十年もの間働き続けてきた状況から離脱し、「生活のリズムも日々の目標も否応なく激変したあと、自らにふさわしい、充実した『第二の人生』をどう選びとるか」ということに向き合い、模索しなくてはいけないということに関しても、25年前も現在も、おそらくきっと変りはないはずだからです。                  

 

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 にっこりけっきょく何が言いたかったのかというと、私が50歳になった25年前も現在も、時代は変われども、定年退職する人が「定年後の人生」をどう生きていくかということは、切実な問題であることに変わりはないだろうということです。     

 

 しかしそんななかにあって、先の「まえがき」を読んでいて、現在と違う点が2つあることに気づきました。1つは、25年前の日本人の平均寿命は、男性77・19歳、女性83・82歳(1998年8月、厚生省発表)だったことです。

 

 現在はどうなっているかというと、厚生労働省によれば、男性の平均寿命は81・05歳、女性87・09歳です。25年前と比べて、男性は3・86歳、女性は3.27歳、それぞれ延びています。寿命が延びているということは、「定年後」の人生の残り時間もそれだけ長くなっていると言えるかもしれません。

 

 また、違いの2つ目は、「まえがき」には「人生80年」時代とありました。確かに当時は、みんなそう言っていたと思います。しかし、今はどうでしょう。「人生100年」時代といわれているのをよく目にします。なかには「そんなことない」という人もいます。

 

 私も、日本の人口1億2千数百万人のうち、100歳の人が現在9万余りいらしゃるそうですが、しかしだからといって、それで「人生100年」時代は、いくら何でも、言いすぎじゃない?と思わなくもありません。見慣れた芸能人や身近な人の訃報を見ていても、男性の多くは80歳前後で亡くなっています。それで、どうして「人生100年」時代なの? と正直思います。

 

 しかし、厚労省が発表した令和4年度の簡易生命表を基に高齢者住宅協会というところが作成した資料によると、90歳を迎える(90歳まで生存する)者の割合は、2000年で男性17・3%、女性38・8%であったのに対し、2022年は、男性25・5%、女性49・8%と増えています。男性は4人に1人、女性は2人に1人(半数)です。

 

 ということは、この先もその割合が増えることで、ひいては、100歳を迎える人の割合も多くなっていくだろうことは予想ができ、いつかは、真に「人生100年」時代がやってくるかもしれません。

 

 つまりそういうことで言うと、定年後の人生の生き方の切実さは25年前も今も変わりはないなかで、しかし今はその頃よりも寿命が延びている、人生の時間が延びていることで、人生のチャンスが広がったと考えられるいっぽう、逆に「長生きのリスク」も加わっているといえなくもないと思います。

  

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 にっこりところで、私がこのほど20数年ぶりに書棚から取り出した『定年後「もうひとつの人生」への案内』ですが、本当ならば、ずっと書棚に並べられ “死蔵”(=しまい込んでおく)されたままになっていたはずでした。しかし、こうして『定年後を“いい人生”にする方法』を探求するなかで皆様にご紹介することになりました。

 

 そこで、すでにその構成内容や「まえがき」の1部は先の回で簡単にご紹介しましたが、現在の多くの「定年本」の元祖でもあり、定年後の「もうひとつの人生」(=第2の人生)への案内書としての価値と神髄は今も変わりないと思いますので、この機会に内容のほうもごくごく簡単にふれておいてみたいと思います。 

 

 当時、私が鉛筆などで線を引いた箇所がいくつもありましたが、例えば、石坂豊干氏が「ビバ! リタイヤ!」の中で書いている次のようなのがそれでした。     

 

 「大方の人間が、就職して定年を迎える三十数年あまりを自分の巣づくりに夢中になって過ごすのである。そして子供も無事独立し、マイホームのローンを払い終えて目標の達成感を味わう。ちょうどそのころ、『定年』がやってくるのである。   

 

 では『定年後』の今度の目標はいったい何だろうかというと、実はここで『目標』のなかに『夢』が加わったりする。今までは『忙しい、そんな夢みたいなこと言ってられるか』と深く考えてもみなかった『夢』を、誰に遠慮することなくいくらでも実現することができるときがやってくるのだ」

 

 ・・・定年後は夢がわいてくる。しかもそれが実現する。なんともワクワクさせられる文章です。当時、私も「そうなのか、よぉ~し!」と、定年後にワクワクなったものです。また私は、石坂氏の文章の次の箇所にも線を引いてありました。   

 

 「共働きや男女平等のスタイルが増えてはいるが、それでも家庭内の主導権を握っているのは女房である。生活経営者、社長と考えてもいい。その女性に向かって定年後の亭主が「風呂!」と怒鳴るのは新入社員が社長にたてついているようなものだ。クビになっても仕方あるまい。これは冗談ではなく、本当にクビになる話なのだ。

 

 定年後、夫婦で共に家にいる時間が長くなるにつれ、女房の方が、亭主に対してうっとうしさを感じるようになる。毎日の暮らしが辛くなると『このままでいいのかしら』と疑問を感じ、離婚して、第二の人生へ飛び立ちたくなるのだ。考えてみれば、亭主が定年を迎えても、女房の多くは五十代。子育てを終えて、広く世の中を見回したい女の盛りなのである。このままくすぶっては終わりたくないのである。

 

 しかし、共に働いてきた夫婦がこんなことですれちがっていくのはひどく寂しい。共に苦労してきた同志は、定年後こそ夢を持って、一緒に花開かなければならない。そのためにも、二人で会話をするところから始めたい。同じ趣味を楽しみたい。まずは、女房が食事を作れば、あと片づけは必ず亭主の方がする。といった身近な共同作業から始めたらどうだろう。初めはぎごちなくてもかならずうまくいくはずだ。こうした」毎日の積み重ねが続けば、若いころのような男女の新鮮な関係に立ち戻れるのもそう遠くはないはずである」

 

 そして、石坂氏は「ビバ! リタイヤ!」をこう結んでいました。        「最後に申し上げたいのは『自分のためにやりたいこと』がある人間には淋しい定年はいくつになっても訪れない、ということである。たとえ身体は衰えようとも、気力や精神力は老いることがないからだ」 

 

 ・・・・石坂氏の夫婦に関する話が今読んでも面白くて、つい引用が長くなってしまいました。ただ、本の豊富な内容をもちろんここでは到底、紹介しきれませんでした。しかしこのへんで『定年後 「もうひとつの人生」への案内』の本のことは一旦終わりにしようと思います。

 

 25年も前のものではありますが、温故知新とも言いますので、私としてはこの「定年後を“いい人生”にする方法」“探し”の、のらりくらりな “旅” のお守りにしてみたい気持ちでいます。

              花束

           2024年8月27日(火)

           処暑 ー初候 綿のはなしべ開く