有一天-内モンゴル草原に向かう道-
中国にある、内モンゴル自治区の草原の旅をした。
目的は、大草原を馬で大疾走すること。
もちろんその夢は実現できた。
同時に、そのまま通り過ぎることができない場所となってしまった。
壮大な大自然美と、その自然と共に生きてきたモンゴル人の精神が宿る場所。
この場所をどうして伝えたいと思ったのか
その意味が、ようやく見えて来た。
伝えるためには、自分が成長する必要があって、
成長することによって、本当に伝わっていく場所ではないだろうかと。
ここは、自分が成長するために与えられた場所なのかもしれない。
夢をカタチに!と、女性起業塾の門を叩いて事業計画書も作ってみたけれど
動けば動くほど、今の自分では難しいことが見えて来た。
諦めの意味ではなく
実現するために、何が必要なのかを考えていた。
自分が今どうしたいのか、本当はわかっていた。
実行するためには、お金でもなく、事業プランへの不安でもなく
そのためには、どうしてもある事に向き合う必要があった。
ずっとそこと共に生きて、これからもそこと共に生きていくと思っていた
必ず最後に顔を出す、たった1つの事。
実現できるかどうかはやってみなければわからない。
正直リスクは高い。
でも、どうしても譲れない。
今回ばかりは、何回試されても引き離そうとされても答えは同じだった。
たぶん、このタイミングで動かなかったら一生後悔すると思った。
その位、絶妙なタイミングでずっと流れてきている。
だから、どうしても超える必要があった。
わたしにとっては、簡単なことではないけれど。。
この半年は、本当にいろんな人と出会いました。
特にこの1ヶ月は、今まで体感したことのないスピード感。
布団かぶって引きこもる時間もないくらい、人と会っていました。
会って、話をしていくなかで、気づいたこと。
思っていた以上に、皆さんが話を真剣に聞いてくれたこと。
名刺交換だけでもと簡単な挨拶をすると、ま座ってくださいと。
たまたま通りかかった道にいた人との立ち話や、
どこぞの会で会った方と駅までの帰り道で歩きながら。。などなど、
ひょんなきっかけで出会った縁のある方たちが
内モンゴル。。どこ?、てか、あなた誰?の話を、
自分の時間を割いて一生懸命聞いてくれるのです。
話が終わると、情報を頂いたり、人を紹介して頂いたりして
知らない人から電話がかかってきたりもありました。
突如現れたロマンスグレー風(声しかわからないので)は運悪く、
どっちにしよう。。と要になる二択で悩んでいた時に、ライフラインを繋いでくれました。
しかも一般の方で、見ず知らずの人の話を30分くらい聞いてくれるのです。
おかげで、こちらは頭の整理がついて終いには、これで行きますか、と
ずうずうしく確認までさせてもらい。。(上司か)
とにかく、そこに向かうためにキャスティングされた人たちが
次々に現れて、どんどん運んで行ってくれるのです。
人の縁と運だけで生きてきたと自負してしまうくらい、引きが強いほうなのですが
とにかく、今回もいろんな方々とのご縁がありました。
そして、このブログを通じて知り合った方々も、です。
ブログを通じで知り合った方たちとも、実際に何人かお会いすることができました。
いつも読んでくださって、話を聞いてくださって、支えてくださって
本当にありがとうございます。貴重な意見や感想に、いつも感謝しています。
たくさんの方と触れて知ったこと。
伝える事しか意識がなかったので、内容を整理する必要はありました。
それでも伝えると、思った以上に興味を示して頂き、その後
具体的な話を相手がしてくるのです。
いいね!→行きたい→で、誰にどこに連絡すればいいの。あなた?
認知されるだけのPRで止まっていた。。
やっていることは宣伝で、次のアクションが伴うことを想定していなかった。
そして、今この瞬間、提供できるものが準備できていない現実に気づく。
もちろん、申し込めば旅行自体は可能です。
でも、12月に内モンゴルに飛んで、ビジネスとなった瞬間の
変わり行く”現実”を知りました。
痛みを伴いましたが、結果オーライ。今わかって良かった。
そして、自分が何に不安を感じていたかもクリアになりました。
誰かの情報だけで、相手任せで動くのではなく
自分を軸にして繋いでいかなければ、責任は取れない。
今、Goするのはどうなのだろうか。
できるところから始めるなら、内モンゴルに行く必要があるのでは?
行って情報を集めるところから始める。
本当にそれができるのかどうか、客観的に見る必要がある。
そのために必要な準備が、いくつかある。
まずは語学。通訳をつけることももちろん考えていたけれど、
やはりある適度の理解力と会話力は必須。
長期滞在のビザを考えるならば、仮で会社を作ってビジネスビザを使って入るか
もしくは観光ビザとノービザを使う、もしくは留学。
今の状態で、会社を作るのはまだ厳しい。。
日本を拠点にするなら観光ビザでマックスにする。
内モンゴル大学に電話をしてみた。
電話番号の横に(日)とあったので、余裕でかけてみたら
「メイヨーリーベンレン」(日本人いないわよ、と)
えっ?!国際電話は馬鹿にできないゾ。集中しろ!
人間追い込まれると意外と出てくるもの。
しかし結論は、ビザの関係で早くて5月からと言われる。
ダメだ、遅いよそれじゃ。。
来週の9日から、リサーチのために現地に飛ぶ予定でいた。
ノービザで15日間。この間に大学で手続きを取れたらと思っていたけれど、
どうやら厳しそう。。
実は、もう1つ候補があった。
場所は北京。
話を聞いていると最初から流れがスムーズ。
でも。。。
春節でずっと連絡がつかなかった内蒙古大学が3月に入って繋がり、
何とか早く現地に入れるように、ビザを現地で切り替えるなどの好待遇に変わる。
どうする。。
リサーチの為に行き来することを考えていた。
日本を拠点にしていたのは、1つのことがあったからだ。
どうにか、そこを突破するしかない。
が、長年の記憶がぐるぐるよぎる。
中国という国にある内モンゴル。。。このままでは難しい。
このままでは、リスクが高い。高すぎる。
その現実を受け止めなければいけない。
じゃ、あきらめるの?まだやってもいないのに。
無いなら作るところから始めればいい。
何がないか、わかったはず。
チケット屋のお兄サマには、散々日にちを変えてもらっていたので気が引けた。
「ごめんなさい。チケット。。キャンセルお願いします」
「?!(またかよ) そ、そうですか。。」
「変えてください」
「え?もう、無理ですよ。」
「北京でお願いします。」
「だったら、このチケットでいいんじゃ。。。」
「片道にしてください。」
「戻らないんですか?」
「はい」
決めた。
結論は出ていた。
内モンゴルに行くためにも、その元である中国で
自分自身の基盤を作ることが先決だった。
まずは言葉。そして生活できるようにすること。
その上で、休みを使ってリサーチしたり、人脈を作っていくこと。
遠回りかもしれないけれど、確実な方を取った。
現状、中国の中で動くには、都市には叶わない。
前半は北京、週末と夏休みは草原に住んで情報収集と人脈作り。
後半は北京か上海でインターンやりながら、現地の企業をいろいろ覗かせてもらう。
以前なら、迷わず内モンゴルに飛び込んで行ったと思う。
でも、12月の現地での経験は、着実に進む方法を私に教えてくれた。
できることから、積み上げていく。
時間はかかるが迷いはない。
あとは、”そこ”を超えるだけ。
目的は、大草原を馬で大疾走すること。
もちろんその夢は実現できた。
同時に、そのまま通り過ぎることができない場所となってしまった。
壮大な大自然美と、その自然と共に生きてきたモンゴル人の精神が宿る場所。
この場所をどうして伝えたいと思ったのか
その意味が、ようやく見えて来た。
伝えるためには、自分が成長する必要があって、
成長することによって、本当に伝わっていく場所ではないだろうかと。
ここは、自分が成長するために与えられた場所なのかもしれない。
夢をカタチに!と、女性起業塾の門を叩いて事業計画書も作ってみたけれど
動けば動くほど、今の自分では難しいことが見えて来た。
諦めの意味ではなく
実現するために、何が必要なのかを考えていた。
自分が今どうしたいのか、本当はわかっていた。
実行するためには、お金でもなく、事業プランへの不安でもなく
そのためには、どうしてもある事に向き合う必要があった。
ずっとそこと共に生きて、これからもそこと共に生きていくと思っていた
必ず最後に顔を出す、たった1つの事。
実現できるかどうかはやってみなければわからない。
正直リスクは高い。
でも、どうしても譲れない。
今回ばかりは、何回試されても引き離そうとされても答えは同じだった。
たぶん、このタイミングで動かなかったら一生後悔すると思った。
その位、絶妙なタイミングでずっと流れてきている。
だから、どうしても超える必要があった。
わたしにとっては、簡単なことではないけれど。。
この半年は、本当にいろんな人と出会いました。
特にこの1ヶ月は、今まで体感したことのないスピード感。
布団かぶって引きこもる時間もないくらい、人と会っていました。
会って、話をしていくなかで、気づいたこと。
思っていた以上に、皆さんが話を真剣に聞いてくれたこと。
名刺交換だけでもと簡単な挨拶をすると、ま座ってくださいと。
たまたま通りかかった道にいた人との立ち話や、
どこぞの会で会った方と駅までの帰り道で歩きながら。。などなど、
ひょんなきっかけで出会った縁のある方たちが
内モンゴル。。どこ?、てか、あなた誰?の話を、
自分の時間を割いて一生懸命聞いてくれるのです。
話が終わると、情報を頂いたり、人を紹介して頂いたりして
知らない人から電話がかかってきたりもありました。
突如現れたロマンスグレー風(声しかわからないので)は運悪く、
どっちにしよう。。と要になる二択で悩んでいた時に、ライフラインを繋いでくれました。
しかも一般の方で、見ず知らずの人の話を30分くらい聞いてくれるのです。
おかげで、こちらは頭の整理がついて終いには、これで行きますか、と
ずうずうしく確認までさせてもらい。。(上司か)
とにかく、そこに向かうためにキャスティングされた人たちが
次々に現れて、どんどん運んで行ってくれるのです。
人の縁と運だけで生きてきたと自負してしまうくらい、引きが強いほうなのですが
とにかく、今回もいろんな方々とのご縁がありました。
そして、このブログを通じて知り合った方々も、です。
ブログを通じで知り合った方たちとも、実際に何人かお会いすることができました。
いつも読んでくださって、話を聞いてくださって、支えてくださって
本当にありがとうございます。貴重な意見や感想に、いつも感謝しています。
たくさんの方と触れて知ったこと。
伝える事しか意識がなかったので、内容を整理する必要はありました。
それでも伝えると、思った以上に興味を示して頂き、その後
具体的な話を相手がしてくるのです。
いいね!→行きたい→で、誰にどこに連絡すればいいの。あなた?
認知されるだけのPRで止まっていた。。
やっていることは宣伝で、次のアクションが伴うことを想定していなかった。
そして、今この瞬間、提供できるものが準備できていない現実に気づく。
もちろん、申し込めば旅行自体は可能です。
でも、12月に内モンゴルに飛んで、ビジネスとなった瞬間の
変わり行く”現実”を知りました。
痛みを伴いましたが、結果オーライ。今わかって良かった。
そして、自分が何に不安を感じていたかもクリアになりました。
誰かの情報だけで、相手任せで動くのではなく
自分を軸にして繋いでいかなければ、責任は取れない。
今、Goするのはどうなのだろうか。
できるところから始めるなら、内モンゴルに行く必要があるのでは?
行って情報を集めるところから始める。
本当にそれができるのかどうか、客観的に見る必要がある。
そのために必要な準備が、いくつかある。
まずは語学。通訳をつけることももちろん考えていたけれど、
やはりある適度の理解力と会話力は必須。
長期滞在のビザを考えるならば、仮で会社を作ってビジネスビザを使って入るか
もしくは観光ビザとノービザを使う、もしくは留学。
今の状態で、会社を作るのはまだ厳しい。。
日本を拠点にするなら観光ビザでマックスにする。
内モンゴル大学に電話をしてみた。
電話番号の横に(日)とあったので、余裕でかけてみたら
「メイヨーリーベンレン」(日本人いないわよ、と)
えっ?!国際電話は馬鹿にできないゾ。集中しろ!
人間追い込まれると意外と出てくるもの。
しかし結論は、ビザの関係で早くて5月からと言われる。
ダメだ、遅いよそれじゃ。。
来週の9日から、リサーチのために現地に飛ぶ予定でいた。
ノービザで15日間。この間に大学で手続きを取れたらと思っていたけれど、
どうやら厳しそう。。
実は、もう1つ候補があった。
場所は北京。
話を聞いていると最初から流れがスムーズ。
でも。。。
春節でずっと連絡がつかなかった内蒙古大学が3月に入って繋がり、
何とか早く現地に入れるように、ビザを現地で切り替えるなどの好待遇に変わる。
どうする。。
リサーチの為に行き来することを考えていた。
日本を拠点にしていたのは、1つのことがあったからだ。
どうにか、そこを突破するしかない。
が、長年の記憶がぐるぐるよぎる。
中国という国にある内モンゴル。。。このままでは難しい。
このままでは、リスクが高い。高すぎる。
その現実を受け止めなければいけない。
じゃ、あきらめるの?まだやってもいないのに。
無いなら作るところから始めればいい。
何がないか、わかったはず。
チケット屋のお兄サマには、散々日にちを変えてもらっていたので気が引けた。
「ごめんなさい。チケット。。キャンセルお願いします」
「?!(またかよ) そ、そうですか。。」
「変えてください」
「え?もう、無理ですよ。」
「北京でお願いします。」
「だったら、このチケットでいいんじゃ。。。」
「片道にしてください。」
「戻らないんですか?」
「はい」
決めた。
結論は出ていた。
内モンゴルに行くためにも、その元である中国で
自分自身の基盤を作ることが先決だった。
まずは言葉。そして生活できるようにすること。
その上で、休みを使ってリサーチしたり、人脈を作っていくこと。
遠回りかもしれないけれど、確実な方を取った。
現状、中国の中で動くには、都市には叶わない。
前半は北京、週末と夏休みは草原に住んで情報収集と人脈作り。
後半は北京か上海でインターンやりながら、現地の企業をいろいろ覗かせてもらう。
以前なら、迷わず内モンゴルに飛び込んで行ったと思う。
でも、12月の現地での経験は、着実に進む方法を私に教えてくれた。
できることから、積み上げていく。
時間はかかるが迷いはない。
あとは、”そこ”を超えるだけ。