管理人がやっている店の常連に、Sちゃんという高校生の女の子がいます。Sちゃんは茶髪にピアス、ミニスカートに化粧というバリバリのギャル系。決して真面目な高校生ではないですが、いつも明るくて笑顔の似合う女の子です。
そんなSちゃんがいつものように店へやってました。でもなんだか様子が変です。いきなり「めっちゃ腹たつわー!」と不機嫌な顔をしています。そういえば「触らぬ神に祟りなし」という言葉がありました。「昔の人は良いことを言うなぁ、よし、ここは無視しよう」と自分勝手な管理人。しかしそんなことが通用するはずもなく、Sちゃんは管理人に「なあ聞いてや!」と話しかけてきます。あちゃあ。
あのな、学校の授業で「出れる」って書いてん。そしたら先生が「こんなんアカン」って怒りよんねん。「なんでアカンの?」って聞いたら「“出れる”やない。“出られる”や。こんなこともわからんのかアホ!」ってな、めちゃくちゃ怒るねん。なぁ、どう思う?別に「出れる」でええやんか。なんでこんなことでアホって言われなアカンの。めっちゃむかつく!
なるほど。どうやら最近よく批判される「ら抜き言葉」を使って怒られたようです。確かに「ら抜き言葉」は正しい文法ではありません。新聞やテレビなどでも言葉の乱れとして「ら抜き言葉」が槍玉に挙がっています。でも、そんなに批判するほどのことかなぁと管理人は思います。
たとえばSちゃんが怒られた「出れる」ですが、これは先生の言うように「出られる」が正しい表現。しかし「出られる」という言葉だけでは、「出ることができる」ということなのか、それとも尊敬の意味を込めて「出る」を言い換えたのかよくわかりません。これが「食べられる」になると「可能」と「尊敬の意味」以外に、「誰かに食べられてしまう」と受け取ることもできます。
文法で「ら抜き言葉」は間違いですから、正しい文法を教える学校で先生が指摘するのは当然です。しかし“ら”の入った表現は受け取る側に誤解を与えかねないという欠点があります。先ほどの例でも「出れる」なら受け手は「出ることができる」と理解するでしょう。そう考えると「ら抜き言葉」は言葉の省略ではなく進化なのかもしれませんし、「ら抜き言葉」を使ったからといって「アホ」呼ばわりするのはやり過ぎ。
怒っているSちゃんに簡単な説明をして「先生もちょっとやりすぎかもしれんなあ」と答えた管理人。「まぁジュースでも奢ってやるから機嫌直せ」と言うと、Sちゃんはいつもの笑顔に戻りました。ホッとして財布からお金を出そうとした管理人に、それまで黙っていたバイトの女の子が一言。
「あんた、いっつも私に“アホ”って言うやんか。人のことやりすぎなんて言える立場か。」
そりゃそうだ。ごめんなさい。
