罪悪感だとか、不安といった感情はもう肥大しすぎて、ぼくの心身を包みこみ、もうその感覚すらなくなっていたのでした。

 

 

全ての連絡を断ち、もう2ヶ月以上過ぎていました。

 

 

 

 

ヒッピーコミューンでの生活を終え、ぼくはフレッドに送ってもらい

 

久しぶりにAKIRA'S SUSHIの寮に戻りました。

 

ぼくが住んでいた部屋は、そのままずっと空室になっていました。

 

 

 

 

 

ベッドに横たわり、思考が浮かぶままに任せていました。

 

 

 

(思えば、すべての出来事は偶然だった・・・)

 

 

 

(22年前のあの日、AKIRA'S  SUSHIの求人広告を見たのだって、本当にたまたまだ)

 

 

 

(永住権が当選したのも、妻と知り合ったのも、家もラジオもすべて・・)

 

 

(すべては偶然だった)

 

 

 

(こうして今、いろんな思考が湧いて来るのだって、自分の意志とは別に、自然に起こっているじゃないか)

 

 

(心臓が動き、呼吸をしているのだって、やろうとしてやっているのではない・・・ぼくらは、生かされているのだ)

 

 

 

(もうぼくは何もかも失った。人生に対する恐怖も十分に体験した・・・)

 

 

 

(もういい、何かをしよう、とするのはやめよう・・・)

 

 

 

(すべては成り行きに任せよう。このまま寝ていたって、お腹は空くし、トイレだって行きたくなる。そうやって、自分の身に起こる衝動に従おう)

 

 

 

そうやって

 

 

次々と浮かんでくる想念。

 

 

 

本当にバカげたことなのかもしれないが、ぼくは本当に

 

 

「何もしない」ということを実践することにしたのです。

 

 

 

 

夜になり、従業員たちが次々と帰宅してきました。

 

 

 

 

 

 

ぼくの存在に気がついた弟や本田さんが心配した様子でぼくを尋ねてきたのです。

 

 

ぼくの後任としてAKIRA'S  SUSHIの寿司場で働く本田さんは、寿司や調理の技術のみならず、絵画や音楽に非凡な才能がありました。

 

それで本田さんが作曲した歌をラジオのテーマソングにしたり、出演もして頂いたりと

公私ともにお世話になっていたのです。

 

 

 

本田さんは、常に飄々としており

 

「今を楽しむ」ということにとても長けているように見えました。

 

 

 

 

「今を楽しむ」

 

ということは簡単なようで、実は最も難しい究極の成功なのではないか

とぼくは思い始めていました。

 

 

 

結局のところ

 

ぼくは「それを目指していた」という単純すぎる事実に気が付いたのだと思います。

 

 

振り返ればぼくは、いつだって不安と恐怖に煽られ、それを払拭するために仕事に没頭することを繰り返していただけであり、「今を楽しむ」余裕や、その発想さえなかったのです。

 

 

むしろ、未来のために「今を犠牲にする」ことを良しとしていたと思います。

 

 

 

 

ヒッピーコミューンでの生活を経験し、日々の衣食住さえ有れば、そのほかの環境や

 

条件は「今この瞬間」には問題など無く

 

意味もないのだと、ぼく自身は痛烈に悟ったのです。